8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

なかにし礼氏からのメッセージ

2014-11-30 08:12:45 | 日記
「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」 なかにし礼
2014年7月1日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため?大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいていないからだ
世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ?なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者?そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
そのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々しい風が吹くじゃないか
怖れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれ出た時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない
が 殺してもいけない
だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!  
(北海道新聞11月30日朝刊 21P 特集より転載)
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人生を左右する分岐点

2014-11-28 10:52:55 | 日記
「あの時、別な道を行ったならば、自分はどうなっていたか?」ということを時々思うものだ。このたび札幌市が再び冬季オリンピックの開催に向けて名乗りを上げた。関連して思い出すことが幾つかある。実は、札幌でのオリンピックは1940年(昭和15年)に開催が決まっていたのだが、日中戦争の影響で中止になっている。1940年と言えば8703が生まれた年である。そして、24年後の1964年に東京オリンピックが開催された。札幌は1940年から待つこと32年、1972年2月3日~13日まで。日本及びアジアで初の冬季オリンピックが開催された。

東京オリンピックの年、8703は大学を卒業して北海道当別高等学校の新任教員であった。東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールの大活躍や、裸足の金メダリスト、男子マラソンのアベベ選手、大健闘の日本選手の活躍に大いに盛り上がり、興奮した記憶が残っている。そして、札幌オリンピックに関しては、東京大会からは10数年離れているのだが、微妙な縁を感じている。1963年、8703大学4年目で、一応、小学校、中学校、高等学校教諭の資格を取得し採用試験にも合格、翌年(1964)の春まで就職先のオファーを待つことになっていた。

丁度そのころ、8703の父親が現職小学校長であったので、やはり師範学校同期が札幌市内の校長などでいたので、それとなく情報交換をしてくれていたようで(今で言う就活をやってくれた)、その関係で新設が決まっていた真駒内地区の小学校への内々定を得ていた(その真駒内が、札幌オリンピックのメイン会場となり選手村になった)。そして、卒業式も終わり、実家でのんびりと正採用の通知を待つ3月を過ごしていた。ところが、ある日の朝、指導教官の駒ヶ嶺大三先生から自宅へ電話が入った。「重要な相談があるので、直ぐに大学へ来なさい」ということであった。

直ぐに砂川市豊沼の実家からJR(当時の国鉄)に揺られて札幌へ向かい、駒ヶ嶺研究室を訪ねた。先生からの第1声、「君、大事な話を聞きに来るのにガムを口にして来るとは何事か!」であった。温厚な先生であったので、優しい口調であったが痛く恐縮したことは忘れていない。そして、本題に入った「君は早くに小学校の内々定を得ていることは承知しているが、高等学校へ行く気はないか?」ということであった。一瞬、なんと答えてよいものか、言葉が出ない状態であった。

先生が言葉をつないだ。昨日、T高校の教頭さんが来学し、新卒男子で音楽専攻の人がほしいと言ってきた。君行かないか?」であった。8703の希望としては、小・中・高への特別なこだわりは無く、地域的には札幌市内か近郊であったので、札幌市内の内々定を得ていて大満足していた。したがって、即答できずにいると更に先生は続けた。「内々定の件は大学が直接関わっていないのだが、取り消すのであれば関係者へ丁重に事情を説明し、了解を取ります」。ここで、8703の心が少し動いた。

T町であれば、札幌から小一時間、さらに、現場ではぜひ合唱指導に力を入れたいと思っていたので、先生に「T高校に合唱部はあるようですか?」と聞くと「少人数だがあると言っていたよ」であった。そこで、更に心が動いた。ところが、次に来た駒ヶ嶺教授の言葉が一大衝撃であった。「もちろん、音楽の授業はあるが、それだけでは時間が少ないので英語の授業もやって欲しいと言っていたよ」と来た。「えっ!私は英語の免許はありませんが」「いや、免許が無くてもいいので1年生の授業を6時間持って欲しいそうだ」

50年ほど前のこととは言え、今では考えられないようなおおらかと言おうか、いい加減と言おうか「無免許運転公認の世界」であった。しかし、8703は、さすがに無免許運転にトライする気持ちにはなれずに躊躇していた。そこに教授からの強烈なる一撃が入った「君、中学校から今まで英語をやって来たんだろう。10年もやっていて、高校1年生にも教えれないようでは、何をやって来たんだ!となるよ。大丈夫だ、やってみろ!!」このお言葉に背中を押されて、恐れ多くも、週、音楽6時間、英語6時間の高校教諭生活を5年ほど続けたのである。英語の授業のことを考えると、今でも、汗が出る思いだが、あそこで決断しなければ、教員として全く変わった道を歩んだのであろうと思うと、考え一入である。
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わたしの願い~12.14に向けて~

2014-11-25 10:52:38 | 日記
合唱曲「わたしの願い」風に・・・いま わたしがほしいのは 真の政治家です 私利私欲 党利党略に明け暮れる政治屋さんはいりません。鹿児島川内原発を(かわうち原発)と言い、福島の被災地には一度も足を運んでいない人が担当大臣になる なんと言う取り組みの浅さであり 浅はかさでしょう!またまた再燃した政治と金の問題 そして華々しくデビューした女性大臣2人が先陣を切って退陣 さらに不祥事が続こうか というところでの突然の解散 これは「あべのミクス解散」ではなくて「あべこべ解散」だと言われても致し方ない有様である。しかし、解散総選挙が決まった以上は棄権はしておれません!有権者の態度として最も良くないのが無関心、投げやりな態度です。「誰が入ろうが変わらない、誰がやっても同じ。だから投票に行かない」と言った気持ちに襲われることも無いわけではないが、それでは永久に政治は変わらないし、世の中も変わらない。われわれ有権者が唯一具体的な意思表示できるのが選挙である。ベストな政党、政治家が見つからないとしても、何とかベターな人、党を選んで投票に行かねばならぬと思っている。
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M氏の決断!その2.(原題「『うた』という武器を持って」)

2014-11-21 14:45:07 | 合唱
続いて第2ステージ。
信長貴富「廃墟から」・・・戦争を知らない世代の作曲家の渾身の作品。原爆、ガダルカナル島、そして沖縄地方の祈りの歌というそれぞれの題材を持つ3曲からなる組曲。筆力の高さにも唸るが、その筆力が、作曲家のイメージの深さによって現されているところに惚れた。そう、我々の世代が、戦争に対するイメージをどれだけ持てるか、ということが問題なのである。世の中は、我々の感覚を麻痺させるように仕組まれている。この作曲家は、単なる技術屋ではない。生きている、つまり、敏感であると思う。この鈍感化された世の中にあって、貴重な存在だ。

第3ステージは、誰もが知っているポップスを集めた。
寺嶋尚彦「さとうきび畑」、武満徹「死んだ男の残したものは」、そしてジョン・レノン「イマジン」・・・これらの曲が、反戦をテーマとしたものであることを知らない世代もあるだろう。それだけ、今の世の中は鈍感なのである。無関心、無感動が、いびつな世の中を形成してゆく。至近のことのみに目を奪われ、大切な何かを失った現代(目を奪われたのは、何が原因なのか)。音楽は、大切なものを取り戻さねば、と考えるきっかけになるものだと信じている。だから、私は振り続け、書き続けるのだ。

第4ステージ。
新実徳英「祈りの虹」・・・ヒロシマを舞台にした不朽の名曲。曲中、アルカデルト「Ave Maria」が引用され、その祈りの静謐で美しい和音が無残に崩れてゆくレトリックはまさに天才の技だ。歌い手はどんどん引き込まれ、その歌声は魂の塊となってホールを満たしたと思う。以上が、当日のプログラムである。

戦争を題材にした楽曲は数多く存在するが、私が選曲するにあたってこだわったのは、それらが芸術作品として存在しうるものである、ということだ。つまり例えば、イデオロギーに偏った作品は今回の選曲から外したのだ。コンサートという場所は、単純に音楽が好きな人々が集う場所である。その人の社会的な立ち位置は様々で、世界観も人それぞれである。その誰もが、音楽という大きな力によって心を動かされ、そして一つの共同体になることが出来る。これが、芸術のもつ力である。どんな演説もかなわない、音楽や芸術の力が、ここにある。

だから私は、芸術作品として高い位置にある作品のみを集めたのだ。そして、主義、主張を超えて私たち人間の奥底に存在する倫理観、死への恐怖、そして手を繋ぎ、笑い合うことへの共感と憧憬といったものを呼び覚ましたかったのだ。目には目を、攻撃には報復を、といった考え方をしている限り、この世は変わらないであろう。だからこそ、今私たちは音楽の力、そして歌の力を借りようではないか、と言いたいのである。(続く)
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M氏の決断!その1.(原題「『うた』という武器を持って」)

2014-11-21 06:49:14 | 合唱
M氏が指揮をする合唱団が創立10周年を迎えた。10周年記念演奏会の曲目、プログラムをどのような内容にするかM氏は色々と思案していた。10周年の記念に華々しい舞台を演出しようと、当初は考えていたとのこと。その過程と結果について8703は大いに考える(賛同する)ところがあり、M氏の寄稿文を紹介させていただくことにした。以下、某紙に掲載された寄稿内容である(ご本人の了解を得ている)。

プログラム内容について、いろいろ思いを巡らしているうちに、集団的自衛権の行使、そして憲法9条の解釈変更と、世の中がきな臭くなってきた。私たちが世界に誇る平和憲法が侵されようとしている。そして、驚くべきことに、この国には、この事実に無関心か、あるいは肯定的な考えを持った人間が多く存在するということだった。戦慄を覚えた。考えてみれば、この合唱団が生まれてからの10年間、私たちの住むこの日本では、そして地球上では実に様々な事が起こった。過去に想像だにしなかった天変地異が起こり、放射能におののき、各地で戦いはやむことはなかった。

そして今年。戦いを放棄したはずの国は、政治家が数の権力でその掟を破ったのだ。私は思考のシフトチエンジをした。10周年だからこそ、戦争と平和を考えるプログラムにするべきなのではないか、と思い始めたのである。あえて、華やかで明るい曲を並べるのをやめた。今年らしくていいではないか。決定したプログラムは、以下のものである。全てが、戦争を題材にした曲のみによるプログラムである。

第1ステージ。ペンデレッキ「アニュス・デイ」・・・ペンデレッキの作品には、アウシュビッツの血が染み込んでいる。トーンクラスターの響きは、無念の叫びなのである。ペンデレッキの作品を、深く理解し表現できるポーランド人以外の人種は、そう、ヒロシマの記憶がDNAとして染み込んでいる我々日本人ではないか。

三善晃「その日ーAugust6-」・・・幼いころに機銃掃射に合い、目の前で友人を亡くしたぬぐい去れない記憶を持つ三善は、自らの人生の終焉を目の前にしてもなお、ヒロシマのその時その場所にいられなかったことに対する贖罪をこの作品で表したのだ。人間とはかくも崇高でいられるのだ。(続く)
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