goo blog サービス終了のお知らせ 

竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

朝ドラ「ゲゲゲの女房」と狐にだまされた話

2010年05月15日 | 日記
NHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」は面白くなってきた。
いろんな妖怪が話題にでてくる。
河童、天井舐め、海坊主、ベトベトさん、狸.....
夫の漫画が売れず、お金がなくて困っている女房は
木の葉がお金になればいいのにと嘆いている。

(上の写真は昨日の朝ドラのいちシーンです。
よく見てください。狐と木の葉と小判が描かれてます。)

そこで、私が吉野で聴いた「木の葉がお金になった話」というか
狐にだまされた話を語ろう!


キツネにだまされた魚屋さん

今から70年ぐらい前の話や。
行商の魚屋さんが、魚を荷車につんで、なだらかな坂を登っててんて。
途中、不動坂というたいへん急な坂にさしかかったんで、
そこに荷車をとめてひと休みしてんて。
そしたら、そこへ、見知らぬ人があらわれて、
「おっちゃん。もし、よかったら、その魚売ってもらえまへんか。」
と言うてんて。
魚屋さんは喜んで、
「どこで商売しても同じですさかい、どうぞ買うとくんなはれ。」
と言って、いろいろと魚を取り出したんや。
そしたら、見知らぬ人は、
「それもこれも。」
と言ってんけど、
魚が残り少ないのを見て、
「全部もろとくわな。」
と言って、荷車の魚を丸ごと買って行ってんて。
魚屋さんは、よく買ってもらったと、ありがたがってお金の勘定を始めてん。

そうしてたところ、しばらくして、魚屋さんの知り合いが、
不動坂を登ってきて、こう言うてん。
「おっちゃん、何しとんの。」
「いや、今しがた魚がたくさん売れたさかい、お金を勘定しとんね。」
と魚屋さんが答えると、知り合いは笑って言ってんて。
「キツネにだまされてんねんわ。そんなんしとったらあかんで。」
「いや、キツネなんかにだまされとらへん。これお金や。見てみいさ。」
と、魚屋さんが言い張ると、
知り合いは、魚屋さんの肩をポンッとたたいてん。
そしたら、魚屋さんはハッと気がついて、正気に戻ってんと。
魚屋さんが、お金だと思って勘定していたものは、
たくさんの木の葉っぱやってん。
魚はぜんぶキツネに取られてしまったということや。

    原典: 櫻井龍彦代表編著『奈良県吉野町民間説話報告書』
    再話: 竹原威滋


久保華誉:和製グリムの世界ーブレーメンの音楽隊を中心に

2010年05月13日 | 日記
今日は、私の主宰している研究会の案内メールを
そのまま転載します。
上の写真に載っている本の著者が
お話してくださいます。

グリム童話「ブレーメンの音楽隊」が
日本ではどんな形で伝承されているかを
わかりやすく事例を挙げて話してくださいます。

慶應義塾大学、日吉キャンパスで 
2010年5月30日(日)午後1時30分からです。

よろしかたら、いらしてください。


2010.5.13.        竹原威滋



★グリムと民間伝承研究会(グリミン)★第51回例会案内★

                  2010年5月12日

大型連休のGWも終わり、新緑の季節となりました。
 グリミンの皆さま、お元気でいらしゃいますか。
 さて今回は、日本独文学会の春季大会に合わせて、
大会2日目午後にグリミンの例会を開催します。
 平素参加しにくい方々も是非奮ってご参加下さい。

★今回は、このほど、下記のご著書を刊行された久保華誉さんに
 ご発表いただくことになりました。
『日本における外国昔話の受容と変容 和製グリムの世界』(三弥井書店)

            記

●日時: 2010年5月30日(日)午後1時30分から(時間厳守)
       午後1時30分~3時30分 研究会(時間厳守)
       午後3時30分~5時 懇親会(大学近辺の喫茶店・自由参加)

●会場:
 慶應義塾大学、日吉キャンパス 
     独立館(研究発表会と同じ建物)D401
 (東急東横線・東急目黒線・横浜市営地下鉄: 日吉駅下車、徒歩1分)
 (〒223-8521 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1)
   日吉キャンパスアクセスマップ :
   http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.html
●内容: 

★  和製グリムの世界ーブレーメンの音楽隊を中心に

【発表の概要】
博士論文の簡単な紹介とともに、グリムの日本の昔話への受容
例として「ブレーメンの音楽隊」を取り上げる。
ブレーメンの音楽隊の影響があると思われる日本の昔話は、
30話報告されている。グリムとの大きな違いは結末で、
日本では主人を助けるため泥棒を追い出し、その後残った金を
家に持ち帰るなど、動物報恩譚の傾向が強くなる。
明治期の翻訳と口承資料のテキスト分析のみならず民俗背景を
見据え考察する。

【久保華誉プロフィール】
國學院大學大学院文学研究科日本文学(伝承文学)専攻博士課程後期修了。
博士(文学)。 国立国会図書館国際子ども図書館調査員(非常勤)を歴任。
國學院大學大学院において野村純一教授に師事。
日欧民間説話の比較研究を通して異文化の受容と変容を探る。

興味深い発表を楽しみにご参集ください。

●参加費 500円

以上。


中将姫の話

2010年05月10日 | 日記
今日はならまちに伝わる典型的な継子話
「中将姫」を語ろう。


 なら町の南の鳴川に、誕生寺ていうお寺があるねん。
 中将姫は、そこで生まれはったんや。
 中将姫のお父さんは、藤原鎌足のひ孫で、藤原豊成いう人やねん。
 お母さんは、紫の前ていう、きれいな人やってんて。
 二人には、子どもが出来へんかった。
 二人は、子どもが欲しいと思うて、長谷寺の観音様に願を掛けはってん。
 そしたら、満願の日に、夢に、観音様が現れて、
 「お前たちの願いは聞き入れた。けど、お前たちのうち、どちらか一人が欠ける事になるぞ。
 それでもええか」てお告げがあってん。
 「はい、結構でございます」て返事したとたん、二人は目が覚めてん。
 それからしばらくして、中将姫が生まれはったんや。
 中将姫は、二人に可愛がられて、蝶よ花よと育てられはってん。

 ところが、中将姫が三つになった時、観音様の約束通り、お母さんが亡くなってしもうてん。
 お父さんは、中将姫をかわいそうに思うて、新しいお母さんを迎えはってんて。
 新しいお母さんは、照日の前いう人やった。
 照日の前は、お父さんの前では、
 「可愛い可愛い。このお菓子をお上がり」なんて言うて、
 中将姫を可愛がるふりをするねんけど、
 お父さんのおらんとこでは、
 「お前なんか、どこかへ行ってしまい。寒うても、着物なんかいらんね」
 て意地悪言わはるねんて。
 そのうち、自分の息子が生まれると、ますます中将姫をいじめるようになってん。
 冬、雪の降る寒い日に、中将姫を松の木にしばって、折檻したりしはってんて。
 その松は、今でも豊成の屋敷跡といわれてる徳融寺に残ってるねんで。

 あるとき、中将姫は、とうとう、葛城山の地獄谷に捨てられてしもうてん。
 けど、運良く、時の帝に救われて、中将姫は、帝に仕える内侍になってんて。
 ところが、照日の前は、また、武士に命じて、中将姫を殺させようとしたんや。
 そのときは、武士の夫婦に助けられて、山に隠れ住むことになってん。
 そしたら、偶然、狩に来たお父さんに見つけられて、
 中将姫はお父さんに連れられて、帝のところに戻ることができたんや。
 中将姫は、その後、弟が亡くなったのをきっかけに、当麻寺で出家して、
 尼さんにならはってんて。
 そうして、当麻曼荼羅を見ながら極楽往生しはったということや。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁


上の写真は、ならまちにある中将姫の誕生寺です。
この寺には、中将姫の産湯の井戸もありますよ。

それから徳融寺には中将姫のお墓が、父の豊成公のお墓と並んでありますよ。
ぜひ、尋ねてみてね。




鹿をめぐるお話「十三鐘の石子詰め」

2010年05月08日 | 日記
前回予告したとおり
鹿をめぐるお話をひとつ語ります。

「十三鐘の石子詰め」という話です。

 昔から、奈良の鹿は、神様のお使いやいうて、大切にされてきてんで。
 ずっと昔に、春日神社の神さんが奈良に来るとき、鹿に乗ってきたんやて。
 そんな尊い鹿を、もし殺しでもしたら、「石子詰めの刑」というて、
 死んだ鹿と一緒に生きたまま穴に埋められたそうや。

 さて、興福寺の南側の石垣に沿うて三条通をずっと上がっていくと、
 右側へだらだらと下ったところに、菩提院大御堂というお堂があるねん。
 俗に十三鐘と呼ばれてるねん。



 むかし、このお堂の横に寺子屋があってん。
 あるときのことや。
 三作という子どもが、この寺小屋で、「いーろは、いーろは」て声あげながら習字をしてるとな、
 そこへ鹿が上がってきて、廊下に置いたあった大事なお手本を食べ始めてん。
 三作はびっくりして、「こらっ」いうて、思わず、手元にあった文鎮を鹿に投げつけたんや。
 そうしたら、当たり所が悪かったんか、鹿はその場に倒れて死んでしもうてんて。

 鹿を殺した科で、三作は石子詰めにされることになってん。
 大御堂の前の庭の東の方に穴が掘られ、三作は、鹿と一緒に生き埋めにされてしもうたんや。
 三作の母親は、三作が埋められたところにモミジの木を植えて供養してん。



 その時から、「鹿にモミジ」という取り合わせが始まったそうや。
 そうして、三作が石子詰めになった時刻が、夕方の六つと七つの間やったので、
 六つと七つを足して、ここを十三鐘というようになったんやて。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁

このお話には、その証拠になる「三作のお墓」が
上の写真にあるように今日まで伝えられている!

母親は三作が秋に亡くなったので、
モミジを植えて、葉が色づくと、三作を思い出したそうだ。
また、三作が今度生まれてきたときは
亀のように長生きして欲しいと、母親はお墓に亀石と供養塔を建てた。
写真をよく見て、確認してくださいね。
紅葉したモミジも亀石も見えますでしょ。

このように三作の墓が今日まで伝えられている。
それって、すごいことですね!

奈良の先祖の人たちがこの話を未来に向けて伝えて欲しいとの
強烈なメッセージなんですよ。

鹿を大切にする心と子を想う母の深い愛!!

ベストショット:桜と鹿のシルエット

2010年05月08日 | 日記
仕事場の奈良教育大学に通う道筋
健康のため、時々奈良公園を歩いています、デジカメを持って。
この写真は、とっておきのベストショットです。
浮き見堂のある鷺池を背景にして桜と鹿を撮りました。
夕方の空の光に映えて、鹿がみごとにシルエットで浮かび上がっています。
私のお気に入りの写真です。
どうか、じっくり見てください。

こんな光景を見ていると、「奈良に住んで幸せだな」と実感します。
鹿は春日の神さんを運んできた神のお使いです。

次のブログでは、鹿をめぐる民話を紹介します。
お楽しみに!

小澤俊夫著『こんにちは、昔話です』を読みました。

2010年05月06日 | 日記
「昔話」とは何か、こんなにわかりやすく書いた本に初めてめぐり合いました。
連休中に何か読もうと、何気なく手にとって読んだところ、
一気に読んでしまいました。
長年、昔話研究をしてこられた小澤先生だからこそ、
書けるのだなあ、と実感しました。

昔話はどこにあるの?
絵本のなかに? 民話集の中に?
いいえ、
「昔話は、語られている時間のあいだにだけ存在する。
ということは、語り終わったら消えるということです。」

こんな問いから始まって、昔話の語り口の特徴の分析、
昔話のメッセージ、子どもの視点からの昔話の魅力、
昔話の再話のノウハウ、
そして、あなたも語り手になれると勇気づけてくれます。

奈良の民話を語りつぐ会のみなさま、
孫たちに昔話を語りたいみなさま、
是非読んでくださいね。

以下、小澤昔ばなし研究所のホームページより書誌情報を転載します。
http://www.ozawa-folktale.com/


『こんにちは、昔話です』  小澤俊夫 著

昔話って誰が作ったの? 昔話はどうして大切なの?
そんな素朴な疑問も、本書を読めば解決!

みんなが知っている「桃太郎」や「花咲か爺」。
でも昔話のこと、どこまで知っていますか?
昔話の大切さを訴えつづけている著者による、昔話の入門書。
人から人へ口伝えされてきた昔話の魅力や秘密を、わかりやすく解説します。
レイアウトも見やすく、Q&Aコーナーや付録ページも充実。


2009年10月16日発行 192頁 四六版(カバー無し) 小澤昔ばなし研究所
定価 1050円 (本体1000円+税)
ISBN 978-4-902875-31-7
昔ばなし研究所取り扱い
書店での注文も可






ならまちに、かつて鬼が出没した!

2010年05月04日 | 日記
上の写真にある路地に鬼が出没した。

この路地がどこにあるかというと、
興福寺の五重塔から三条通を横切り、52段の階段を降り、
猿沢池を右手にみて、まっすぐ南に行くと、
左手にホテル・サンルート見て、さらにまっすぐ少し行くと、
左手にこの路地が見える。
この路地に入ると、その先に奈良ホテルが見えてくる。
この路地に、かつて鬼が出たのである。

それを語るお話を紹介しよう。


不審ヶ辻の鬼

奈良の御所馬場町とカササギ町の間にある東西の狭い横町を不審ヶ辻いうて、
昔からフリガンズシて呼ばれてるねん。何でかいうたらな……。
むかし、御所馬場町に松浦いう長者がおってん。
ある夜のこと、この長者の家に盗賊が忍び込んだんやて。
それを長者が捕まえて、鬼隠山から谷底へ投げ込んで殺してしもうてん。
そしたら、死んだ盗賊の霊が鬼になって、毎晩、元興寺の鐘楼に現われて、
町の人たちを襲うようになったんやて。
後の元興寺の法師道場上人は、そのときまだ小僧さんやったけど、
「私が鬼を退治します。」いうて、
ある晩、鐘楼の陰にかくれて鬼を待ってたんやて。
真夜中になると、鬼が現れてん。小僧さんは、鬼に飛びかかっていってん。
小僧さんと鬼は、長いこと激しいに戦うてん。朝方になると鬼は逃げだしてん。
小僧は追っかけたけど、今の不審ヶ辻のところまでくると、
鬼の姿はぱっと消えてなくなった。あたりはがさっぱらで、
なんぼ探しても、どこへ行ったのかわからんかったんやて。
こんなことから、誰いうとなく、この辻を不審が辻、
フリガンズシと呼ぶようになったんやて。
この元興寺の鐘楼は、今は、新薬師寺に移されてて、
鐘には鬼の爪あとがぎょうさん残ってるということや。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁


万葉文学や考古学の手の届かないところに南都文化の深さがある。

2010年05月04日 | 日記
本日のブログのタイトルは、昨日紹介した『奈良伝説探訪』の編者丸山顕徳さんの
言葉をそのまま引用した。

本書の「はじめに」に書かれた言葉を再録しよう。


  これまで奈良文化の紹介といえば、飛鳥・奈良時代の歴史と文学に偏る傾向があった。
  これは研究者の視界が、上代の文字文化と考古遺物を中心とする研究に偏っており、
  それが紹介されていたからにすぎないからである。
  実は、奈良の文化は、人々が想像する以上に各時代にわたり、広く深いものである。
  日本の思想を支えた南都七大寺の壮大な文化の蓄積の紹介は、
  まだまだ未開拓な分野である。
  万葉文学や考古学の手の届かないところに南都文化の深さがある。

私はこの言葉は卓見であると思う。

今、平城遷都1300年祭で奈良は大賑わいである。
そのほとんどの行事が飛鳥・奈良時代の文化を「懐古」するものである。

私たちは7世紀以来奈良の人々が伝えてきた中世・近世も視野にいれた奈良の文化を
「回顧」し、未来に引継ぎ、世界に向けて発信していかなければならない。

私たちは、奈良の人たちが愛する民話を時代を超えて今に伝えてきた
心の文化と向き合っている。


『奈良伝説探訪』は、その意味で非常に貴重な書物である。
しかも、私たち、奈良の民話を語りつぐ活動を行っている者にとって
啓発的な書物である。


なぜなら、この本を携えて、奈良を歩きたくなる。
「伝説地情報」として伝説地の年中行事、拝観料、所在地と
アクセスするための交通手段も懇切丁寧に掲載されているからである。



丸山顕徳編『奈良伝説探訪』が刊行される!

2010年05月03日 | 日記
奈良県下の民話調査を長年一緒にしてきた畏友・丸山顕徳先生が
このほど『奈良伝説探訪』を三弥井書店から刊行されました。

奈良の民話を愛する方々にとっては必読書です。


書店のホームページより転載します。

2010年の平城遷都1300年に向けて、
古都奈良に伝わる寺社、名所、高僧などをめぐる選りすぐりの伝説を、
多くの写真と図版、地図を使って解説。
奈良の寺社参詣と、歴史、伝説を探訪するためのガイドブック。
各解説の後に「伝説地情報」として伝説地の年中行事、拝観料、所在地と
アクセスするための交通手段を掲載。

はじめに
Ⅰ ならまち界隈を歩く
道場法師の鬼退治/聖宝と餅飯殿/采女と猿沢池/御霊神社と道祖神/
中将姫誕生の寺/饅頭の神様・林神社/吉備塚と奈良教育大学の七不思議
/玄濁と頭塔
Ⅱ 奈良の東を歩く
聖武天皇と東大寺/行基と勧進/良弁伝説の東西/三月堂と蜂の宮/
東大寺戒壇院と空海/景清と東大寺の手貝門/春日の六道/護良親王と般若寺
/十三鐘の石子詰め
Ⅲ 奈良の西を歩く
光明皇后と法華寺の十一面観音/佐岡神社と佐保姫/西大寺の叡尊/
松永弾正久秀/菅原道真と菅原神社/唐招提寺と覚盛上人/歴史の彼方の押熊
Ⅳ 奈良の郊外を歩く
実忠と笠置寺/龍の伝説―猿沢池と室生―/神野山・天狗さんの石合戦/
大柳生の太鼓踊り/龍腹寺伝説地帯/西九条の蛇塚の由来/帯解寺と染殿皇后/
霊山寺の祖小野富人/中宮寺の天寿国曼荼羅繍帳 184
Ⅴ 奈良から歩く伝説と信仰の旅
後醍醐天皇の伝説を歩く/大和の富士講を歩く
Ⅵ 付録
引用文献の一覧(項目別に作成)/語句索引/編者・執筆者紹介/あとがき

本体価格 2300円
ISBN978-4-8382- 3190-4
発行年月 平成22年4月16日
判形・製本 A5判・並製



古代の日本とイランの文化交流を明らかにした井本英一先生

2010年05月03日 | 日記
ゴールデンウイークを迎え、少しのんびりしています。
久しぶりに新聞にゆっくり目を通していると、
29日の朝日新聞の奈良面に
井本英一先生が瑞宝中綬章を受けられたことを知りました。

説話伝承学会などでお付き合いいただき、学恩を受けています。
古代オリエント研究一筋、古代の日本とイランの文化交流に関して
斬新な論考を展開してこられました。

たとえば、ペルシアの有翼円盤と日本の正月のしめ縄飾りの関連性など、
いくつもの興味深いお話をお聞きしたことがあります。

先生、本当におめでとうございます。



近鉄奈良駅から徒歩15分のところに龍が棲んでいる!

2010年05月01日 | 日記
前回のブログで、「奈良民話祭り」がNHK「ならナビ」で紹介されると
お知らせしましたが、やはり28日の「ならナビ」のCATV便りで放映されました。
わずか2分ほどですが、民話祭りの様子は充分伝わったと思います。
見ていただけましたか?

さて、本日のテーマに移ろう。
近鉄奈良駅から歩いて15分足らずのところに龍がいる!

もう少し具体的に説明しよう。
近鉄奈良駅から西へ少し歩いて行くと
油阪に「蓮長寺」という寺がある。そこの本堂の天井絵に
狩野派の絵師が描いた龍が棲んでいるのだ。
そのことは案外知られていない。
上の写真を見て欲しい。
余りにも真実に描かれているので、
今にも飛び掛ってくるのではないかと不安になるほどである。
それにはこんな伝説があるのだ。


蓮長寺の龍

奈良の油阪に、蓮長寺いうお寺があって、その内陣の天井に、
狩野元俊が描いたといわれる大きな龍の絵があるねん。
むかし、この龍が、夜になると寺から抜け出して、付近の田畑を荒らしたそうや。
そこで、蓮長寺のお坊さんが、龍の目と鱗を三枚、墨で塗りつぶしてしもうた。
すると、龍は、もう天井から抜け出すことができんようになった、いうことや。
それから、この龍の絵は、円で囲んで描かれてるけど、
それは、ある霊能者が、龍と対決したとき、龍の霊力を封じ込めるために
書き加えたものやという話もある。

また、こんな話もある。このあたりには、むかし、池があったんやて。
あるとき、大変な旱魃に見舞われた。それで村人が寺に集まって雨ごいをしていたら、
池から龍が現われて、大雨をふらせたということや。


    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁




奈良の表玄関はなぜ「東向き」というの?

2010年04月28日 | 日記
まず、ご連絡。
昨日、「奈良民話祭り」がNHK「ならナビ」で紹介されるとお知らせしましたが、
どうやら、本日28日の「ならナビ」のCATV便りで放映されるようです。
見てくださいね。以下の番組の時間帯の中の、「CATV便り」です。

4月 28日(水)18:10~19:00 「ならナビ」NHK総合UHF51Ch/デジタル総合(奈良)1Ch
▽今 なら!~平和を願い1万人で編むひも ▽気象情報
▽CATV便り ▽ニュース ▽1300人の夢


さて、昨日予告した「東向き」の地名由来について話します。

よく考えたら、奈良の表玄関はなぜ「東向き」というのでしょうね?
不思議ですよね。
東京の銀座通り、大阪の心斎橋に当たるのが、「東向き通り」ですよね。
なんとなく、変な地名ですよね。
それには、こんな話があるのですよ。


近鉄奈良駅から南都銀行本店までを「東向」いうねん。自治会が二組に分かれてて、
近鉄駅寄りが中町、南都銀行寄りが南町や。
それを一つにして、東向商店街いうメインの商店街になったんや。
なんで「東向」いうのかというと、明治の中頃、家が東向いてしか建ってなかったんやて。
通りの西側に家が建ってて、みな東向いてたんや。東側は興福寺の土塀やってんて。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁

奈良の人でも、この地名に秘められた事情をご存知ない人が結構、いますよね。

では、また。
楽しいゴールデン・ウイークをお過ごしくださいね。

2010. 4. 28.      竹原威滋





先日の奈良民話祭りがNHKならナビで紹介されます!

2010年04月27日 | 日記
4月1日奈良町物語館で行われた「奈良民話祭り」が
NHK「ならナビ」で紹介されます。
その内容は
KCNファミリーチャンネルの「Kパラnext火曜日」で紹介されたものを
NHKが「CATV便り」として再放送するものです。
下記の番組表にあるように、27日(火)か28日(水)のいづれかで放映されます。

4月 27日(火)18:10~19:00 「ならナビ」NHK総合UHF51Ch/デジタル総合(奈良)1Ch
▽やまとの国宝~栄山寺 ▽CATV便り ▽1300人の夢
▽ならを食べ隊~奈良時代の味を現代に! ▽気象情報

4月 28日(水)18:10~19:00 「ならナビ」NHK総合UHF51Ch/デジタル総合(奈良)1Ch
▽今 なら!~平和を願い1万人で編むひも ▽気象情報
▽CATV便り ▽ニュース ▽1300人の夢

出来たら、ぜひ見てくださいね。「奈良民話祭り」は上の時間帯の中で約3分ほどです。 


ところで、週末は「説話・伝承学会」に参加するため、京都の花園大学に行ってきました。
以下のようなプログラムでした。

第1日目 4月24日(土)
●公開講演会   
◇ 「英雄はおさな子」―ユーラシアの英雄叙事詩について
          千葉大学名誉教授  荻原 眞子
◇ 白隠と説法 花園大学国際禅学研究所副所長・教授  芳澤 勝弘

第2日目 4月25日(日)
●研究発表会  
◇ 中世絵巻における差別意識の絵画表現―身体・行為・しぐさから―
          神奈川大学(大学院生)  内藤 久義
◇ 説話と地誌の間―『考訂今昔物語』の例から―
          同志社大学(大学院生)  雨野 弥生
◇ 燈台鬼説話と都市伝説
          国際日本文化研究センター(機関研究員)  飯倉 義之
◇ 絵画と伝承に見る疫病神のイメージ―疱瘡と麻疹―
          総合研究大学院大学(大学院生)  荻野 夏木
◇ 沖縄県宮古島北部の祭祀儀礼―狩俣、大神島における儀礼の伝承―
          名古屋大学(大学院生)  川田 桂
◇ 内モンゴル・ホルチン地方の成巫過程
          千葉大学(大学院生)  サラン・ゴワ
◇ イタリア中世の地獄巡り物語における橋のトポス
          大阪大学(大学院生)  ガルヴァーニョ・ラウラ
◇ グリーンマンと中世の森
          関西大学(非常勤講師)  溝井 裕一
◇ 聖者トゥルシーダース伝の変容
          大阪大学  長崎 広子
●公開シンポジウム  
テーマ「宇宙の神話―太陽・月・星―」
太陽・月・星などの宇宙の神の観念とその神話は世界共通ではない。
それぞれの地域の神話の特色と相違を通して、これまでの研究成果と今後の課題を浮き彫りにしたい。
◇ 日月の争いと星々の神話
          東北大学大学院准教授  山田 仁史
◇ 伊勢と太陽信仰
          斎宮歴史博物館学芸課長  榎村 寛之
◇ 太陽神をめぐるギリシア神話
          京都大学名誉教授  中務 哲郎
  司会   南山大学教授  加藤 隆浩   花園大学教授  丸山 顕徳

この学会は、日本と外国の説話と伝承を対象としているので
学際的でさまざまなテーマを扱っているので、とても興味深いでした。

学会ホームページは下記のサイトをご覧ください:
http://jsft.exblog.jp/12759918/

次回は
ならまちの民話
「東向き」の地名由来を紹介します。
お楽しみに!

2010.4.27.    竹原威滋

餅飯殿商店街のど真ん中に理源大師がひっそり鎮座する!

2010年04月21日 | 日記
昨日、餅飯殿の地名由来を語りましたが、
餅飯殿商店街の左手路地にある箱屋の笹餅飯は
「奈良県産の黒米とモチ米を笹の葉に包んで蒸した三角おにぎり」で結構いけますよ。

今度は、その路地から出て、餅飯殿商店街を先に行くと、すぐ右手に広場があります。
広場の奥にビルがあって、なんとそのビルの右手1階の片隅に「餅飯殿弁財天社」と
「理源大師堂」が祀られています。

上の写真を見て下さい。正面が「弁財天社」です。
古くは弘法大師が吉野の天川村の弁財天を興福寺に勧請した際、
この町に弁財天を勧請したそうだ。7月にはその弁財天をまつるお祭りがあります。

それから、写真の右手に少し見えている祠(ほこら)が、「理源大師堂」です。
中は暗くてよく見えないが、目を凝らして見てください。
確かに理源大師が鎮座していますよ。
その横には、修験道の祖・役行者も祀ってありますよ。

しゃれた餅飯殿商店街のビルの片隅にも昔ながらの祠を残している。
奈良ならではの光景、今と昔の文化が共存している!
奈良人(ならんと)のやさしさを感じるよね。

2010. 4. 21.      竹原威滋

奈良の洒落た商店街はなぜ「餅飯殿」っていうの?

2010年04月20日 | 日記
平城遷都1300年、そろそろ祭りの本番ですね!
奈良にも多くの観光客が訪れるでしょう!
もちろん、「ひがしむき商店街」や「もちいいどの商店街」にも
多くの人が来るでしょう!
なんで、「もちいどの」て言うの?
案外その由来を知らない人もいるでしょう!

それにはこんな話があるんですよ。


  役行者が大峰山を開山して二百年くらいたった頃のことや。
  大峰山中の阿古滝に、大蛇が棲んでいて、修行にくる人たちに悪さをしたんやて。
 それで、登って来る人がほとんどなくなって、霊場はさびれてしもうた。
  この時、大峰山中興の祖、理源大師が、「大蛇を退治せよ」という勅命を受けてん。
 理源大師は、奈良に住んでた大峰山の先達(せんだつ)箱屋堪兵衛を呼んで、
 助けてもらうことにした。
 堪兵衛は、たいへんな力持ちで、勇気もあり、大法螺貝を吹き鳴らすことができてん。
  二人は大蛇をおびきだした。
 理源大師が法力を使うて大蛇を呪縛し、その大蛇を、堪兵衛が刀でまっぷたつにしてんて。
 それで、大峰山霊場はにぎわいを取り戻すことができたんや。
  この箱屋堪兵衛は、奈良から理源大師を尋ねるとき、
 いつも理源大師の大好きな餅飯をお土産に持って行ったんやて。
 そこで、理源大師は、おもしろがって、堪兵衛を餅飯殿と呼んでた。
 この堪兵衛、つまり餅飯殿が住んでた所を、餅飯殿と呼ぶようになったということや。

    原話資料:進藤秀樹・竹原威滋・丸山顕徳編 『奈良市民間説話調査報告書』 
    再話 : 村上 郁


上の写真は箱屋堪兵衛が住んでいたといわれる建物です。
どこにあるかというと、東向き商店街から三条通に出て
すぐ左手の餅飯殿商店街に入るところで、左右を見てください。
確か、右手がお餅屋さんで、左手にはコンビニがあります。
餅飯殿商店街を中に入って、少し歩くと、左手の最初の路地の角で立ち止まってください。
その角の建物を写したのがこの写真です。
確かに「ならまち長屋、餅飯殿箱屋」と表示してあるでしょう!
それからその路地に入り、数歩行くと、左手に
餅飯を売ってるお店があるよ!
アイスクリームの看板もあるので、すぐ分かります。
是非、そこで餅飯を食べて、この民話を体感してくださいね!
それから、路地を先に歩いて行くと、猿沢池に出ます。

この続きは、また、次のブログに書きます。
お楽しみに!

2010.4.20.        竹原威滋

追伸:
このところの寒暖の激しい不順な天候で風邪をひいていたので
ブログが途絶えていてすいませんでした。