竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

グリム童話はなぜ、万人に好まれるのか?→10月2日の講演会でお答えします。

2010年09月29日 | 日記
幼稚園や小学校で子どもたちに
ストーリーテーリングをしておられる方々が
口をそろえておっしゃる言葉があります。

「私は、子どもたちにいろんなお話を語っているが、
話によっては、一部の子どもたちしか聞いてくれないが、
グリム童話を語りだすと、みんなが物語の世界に浸り、
魅入られたように聴いてくれる。
それは、いったい、なんででしょうね?」

その問いに答えるのが、今回の講演会です。

☆ならやまオープンセミナー
講 演 と 語 り   
「グリム童話と語りの様式―『金の鵞鳥』をめぐって」

日時: 10月2日(土)午後1時半より3時半まで 
場所: 奈良教育大学  講義棟 101教室
講演: 特任教授 竹原威滋 
語り: 語り手  村上郁
主催: 奈良教育大学 学術情報研究センター 図書館


<講演の趣旨>
グリム童話と同時代にベヒシュタイン童話も刊行されていますが、
当時はグリムよりベヒシュタインの童話のほうが人気があったそうです。
講演では、グリムの『金の鵞鳥』と
その類話であるベヒシュタインの『白鳥よ、くっつけ!』を取り上げ、
実際に語り手の村上さんに語っていただきます。
両者の語りの様式の違いを実感して、語りの魅力に迫りたいと思います。
また、スイスで語られた現代の民話『王女と腹ペコの小びとたち』も紹介し、
時代による語りの変遷の面白さにも触れます。

是非いらしてください!

詳しくは、下記サイトをご覧ください。

語りと講演「グリム童話と語りの様式」―『金の鵞鳥』をめぐって― 10月2日

このブログをご覧の方々に特別に内緒で
講演に先立ち、グリム童話の魅力の秘密を一部お教えしましょう!


ベヒシュタイン童話もグリム童話と基本的には同じ話ですが、違う点を挙げてみましょう。

まず、ベヒシュタインでは、金の鵞鳥の代わりに白鳥になっています。
ただ単に「白鳥」だと現実の鳥を思い起こさせますが、
「金の鵞鳥」だと、この世にない不思議な鳥のイメージを連想させ、メルヘンチックですね。

ベヒシュタイン童話の三人兄弟には、ヤーコプ、フリードリヒ、ゴットフリートという名前が付いています。
固有名詞が付くと、メルへンらしさがそがれると思いませんか?
 
それから不思議な鳥にくっつく人物が、ベヒシュタインでは、
建築現場の少年、洗濯女、煙突掃除夫、道化師、役人になっています。
これらの人物は都市で出会う人々です。
煙突掃除夫や道化師についていえば、あえて滑稽な人物を引き合いに出したように思えます。

それに対してグリム童話では、三人の宿屋の娘、牧師、堂守り、二人の百姓です。
これらの人物は村で出会う人々です。
メルへンにとっては、都市よりも村に関わる人物の方がふさわしいでしょう。
笑わすことを本職とする道化師が笑いをもたらすのは当たり前です。
まじめな宗教者である牧師が若い女のお尻にくっついているほうがはるかに面白いですよね。

この続きは、講演での お楽しみ!

唐招提寺の観月讚仏会に行ってきました!

2010年09月27日 | 日記
去る9月22日、唐招提寺の観月讚仏会に行ってきました!

開祖・鑑真和上を奉安する御影堂の庭園が特別に開放され、
和上と共に中秋の名月をめでる法要が金堂で行われる行事です。

先ず、お寺のご招待による新宝蔵前庭での野点席でお菓子と抹茶を頂きました。
ちょうどその時、雲間より、満月が現れました。



それから、御影堂に向かい、鑑真和上坐像(国宝)を拝観しました。
蝋燭の光のなかに、おぼろにお顔が浮かび上がっていました。

その両側には東山魁夷画伯が描いたふすま絵が見えました。



次に、中興堂で、覚盛上人坐像(重文)と昭和の中興とも言われている第81世森本孝順長老坐像(左端)を拝観しました。



それから、金堂に移り、開扉された連子窓から三つの仏像を拝観しました。



中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、
天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれていました。

今年のお月見では、奈良ならではの1300年前の歴史に触れるいい体験をしました。

優れた日本のストーリーテラー櫻井美紀さんを偲んで

2010年09月23日 | 日記
語り手たちの会の代表、日本を代表する現代の語り部(ストーリーテラー)の
櫻井美紀さんはかねてより病気加療中のところ、
7月2日午前1時32分に入院中の慶應義塾大学病院でご逝去なさいました。
謹んでお知らせ申し上げます。

実は、訃報に接したのは、一昨日のことです。
たまたま、池田香代子さんのブログを見て、知りました。

「池田香代子ブログ」

池田さんはブログで櫻井さんの面影を偲んで、弔辞を述べておられます。
ぜひ、上記ブログをご覧ください。

「櫻井美紀さん お別れの会」が9月20日(敬老の日)
武蔵野市のレインボーサロンでおこなわれたようですが、
参加できず、残念でした。


わたしにとっても、櫻井美紀さんは良き先輩であり、
多くのことを学びました。

最初にお会いしたのは、1977年夏、国際口承文芸学会が開催された
スコットランド、エジンバラでした。

それから、三原幸久氏と福田晃氏とともに主宰していた
「国際説話研究会」で「味噌買い橋」について発表していただきました。
そのときは、まだ、イギリスの話の翻案であるとは突き止めておらず、
口演童話との可能性をほのめかしておられました。

それがきっかけで、私は「味噌買い橋」のヨーロッパのヴァージョン
「橋の上の宝の夢」(グリムの伝説にもあり)を比較研究することにしました。

櫻井さんはその後、信州飛騨高山で綿密な現地調査をされ、
ジェイコブスの話の翻案であることを見事に証明されたのでした。

そして、櫻井さんの論文とともに小生も拙論を『口承文藝研究』(15号、1992年)に
発表させていただいたのでした。

櫻井美紀:昔話「味噌買橋」の出自 ― その翻案と受容の系譜 ―
竹原威滋:昔話「味噌買橋」をめぐって― そのヨーロッパにおける書承と口承 ―

その後も日本昔話学会の奈良大会のとき
特にお願いして、グリム童話の「杜松の木」について
語っていただきました。

鳥になった主人公の悲痛な叫び、異界の世界のなんともいえぬ不思議な霊力の
感じられる素晴らしい語りでした。

この語りに刺激を得て、私は下記の論文を執筆しました。

竹原威滋:グリム童話の中の伝承歌謡 ― 『ねずの木の話』をめぐって ― 
(『日本歌謡研究』45号 2005 所収)

実は、今年の5月26日にある用件でお電話しました。
そのときは、入院中である旨のお話でしたが、
とてもお元気な声で、まさかその1ヶ月余に
お亡くなりになるとは、思ってもいませんでした。

櫻井さんの気丈なお人柄が偲ばれる一件でした。

「櫻井さんのブログ」
お亡くなりになる2日前までブログ日記を綴っておられました。

1ヶ月まえのお声を電話でお聞きできたのも、
ブログで記念会の直後に訃報に接したのも、
櫻井さんとの不思議なご縁を感じ、
せめてもの慰めを受けているところです。

心より冥福をお祈りいたします。

2010.9.23.  竹原威滋

「義経千本桜・吉野山」を観てきました!

2010年09月21日 | 日記
難波の新歌舞伎座が近鉄上六に移り、
杮落し興行を観てきました。

上六の新歌舞伎座は、複合ビル「上本町YUFURA」(6F~)の中にあります。



新歌舞伎座の新しい緞帳は、
上村淳之画伯の『四季花鳥図』です。
ご覧ください。



今回のプログラムは
市川猿之助監修「二十一世紀歌舞伎組」の公演でした。

プログラムは、
1.太閤三番叟
2.口上
3.連獅子
4.義経千本桜・吉野山

でした。

「義経千本桜・吉野山」についてのみ内容を紹介しましょう。


この『義経千本桜』は、もともと人形浄瑠璃(現在の文楽)のために
書き下ろされた作品で、人形浄瑠璃の、初演からまもなく、
歌舞伎に移されて上演されました。

今回上演された「吉野山」は、『.義経千本桜』の道行にあたり.
源義経の後を追う静御前と佐藤忠信が、
吉野山へ分け入っていく姿を舞踊にしています。

美しい静御前と手強い忠信の主従関係の道行というのが「吉野山」の特色で、
清元と義太夫を用いて八島の合戦の様子を見せる場面が、
大きな見どころとなっていました。

またこの忠信は、静御前が所持する初音の鼓の皮に用いられた狐の子で、
随所に狐をうかがわせる動きを見せていきます。
幕切れに忠信が狐の本性を現して花道を引っ込んでいくのが、
見せ場のひとつにもなっています。


久しぶりに歌舞伎を観て、すっかりハマッテしまいました。
まさに日本の伝統文化の粋です!!

昔話学会・特別講演会・10月10日開催!

2010年09月19日 | 日記
日本昔話学会・特別講演会が10月10日に開催されます。
講師は、学会の創立に関われた先生方です。
いづれの先生方も日本の民話研究のトップ・レベルの学者です。

児童文学を研究されている学生さん、
絵本の読み聞かせや語りの実践をされている方、
孫や子に昔話を語ってみたいという方々、

是非とも、この講演においでくださり、
アカデミックな雰囲気にも触れてみてください!
入場無料、申し込み不要です。


日本昔話学会 2010年度 特別講演会

日 時  2010年10月10日(日) 13時30分~17時10分 (受付開始13時~)

会 場  キャンパスプラザ京都 第4講義室
〒600-8216 京都市下京区西洞院通塩小路下る TEL:075-353-9111
JR京都駅ビル駐車場西側 京都駅中央口から西に徒歩3分

「キャンパスプラザ京都」案内地図

開会の挨拶  13時30分

講 演  13時40分~16時30分

◇我が国の昔話が外国から取り入れたもの 
   関西外国語大学名誉教授 三原 幸久 氏

◇沖縄の民間説話-伝説と史譚の間-    
   立命館大学名誉教授   福 田 晃 氏

◇山と海との伝承             
   東洋大学名誉教授    大島 建彦 氏

閉会の挨拶  16時30分

三人の先生方は、日本民俗学の創始者 柳田國男とも面識があられ、
また、昔話が村々で生き生きと語られていた頃にフィールド・ワークを
経験されておられます。
そんな先生方、三人のそろい踏みです。
得がたい機会なので、是非、お出でください。

実は、その日には、日本独文学会もあるのですが、
私は、この講演会を優先して、出ることにしました!!


見付天神裸祭その2・動と静:裸祭と渡御

2010年09月16日 | 日記
前回のブログの「悉平太郎伝説」を読んでいただけましたか?

見付天神裸祭では、渡御(とぎょ)に先立ち、腰蓑(こしみの)を着けた裸の男たちが
見付区内を練り歩き、天神社拝殿で乱舞します。



この裸祭にはその起源として、悉平太郎という猛犬が
怪物を退治した時の住民の歓喜を表現したものが、
拝殿においての乱舞(鬼踊り)であるとする言い伝えがあります。
この裸祭は、とても激しい踊りです。

裸祭のあと、神様のお渡りがありますが、
これはとても静かな祭です。
鎮守の森のあらゆる灯かりは消され、
松明(たいまつ)の明かりに導かれ、
猿田彦、御先供、神主、神輿(みこし)の順で
参道を下ります。



裸祭は動的で、お渡りはとても静寂で、対照的でした。

サッカーチーム・ジュビロ磐田のお膝元で
古くからのお祭が、悉平太郎伝説とともに、
今に伝えられていることに感動しました。

見付天神裸祭その1・しっぺい太郎伝説

2010年09月14日 | 日記
ブログ、しばらく更新せず、失礼しました。
実は、見付天神裸祭を見に、静岡の磐田市に行ってました。
サッカーの「ジュビロ磐田」の地元の町です。



磐田には、東海道の宿場町、「見付宿(みつけやど)」があります。
見付天神裸祭は、その町に鎮座する矢那比賣(やなひめ)神社の祭神が、
遠江の総社である淡海国玉神社へ御渡する神事を中心とするお祭です。
矢那比賣神社は、見付天神社ともいわれ、
「延喜式」にも記載されている古社です。

怪物を退治した悉平(しっぺい)太郎の伝説の舞台ともなり、参道には
悉平太郎(犬)の像が建てられています。



それでは、今日はその伝説を語りましょう。


悉平(しっぺい)太郎伝説


その昔、毎年八月初め、棟に白羽の矢が立った家の娘は、
八月十日の祭日、人身御供として天神廟に捧げなければなりませんでした。
この祭りの夜、一夜の宿をとろうと、通りかかった旅の僧は暗闇で、
「信濃の悉平太郎に知らせるな。」という内緒話を聞き、
翌朝、このことを村人に話しました。
この時、旅の僧は、内緒話をしていたのは、怪物で、
この怪物に娘を毎年、村人が捧げていることを知ります。

僧は、悉平太郎を探す旅に出ました。
ようやく、信州光前寺で飼われている犬が悉平太郎であることをつきとめた僧は、
その犬を借り受け、見付に再び戻りました。
祭りの当日、柩(ひつぎ)に入った悉平太郎は、息を潜め、
怪物が柩を開けた瞬間、飛び掛り、食い殺しました。



なんと、その怪物は大きな老いたヒヒだったのです。
傷ついた悉平太郎は光前寺まで辿りつきその場で息絶えたとも、
帰路で亡くなったとも伝えられています。

(磐田市教育委員会文化財課発行のパンフレットより)

この伝説と「見付天神裸祭」のかかわりは次のブログで案内します。
お楽しみに!


なぜ、「投げ石の滝」というの?

2010年09月10日 | 日記
久しぶりで、コメントもらいました。
ブロッガーとしては、記事に反応があると、とてもうれしいのです。
「あかずきん」さん、ありがとう!

それでは、ずばり、私ども(比較民話研究会)で蒐集した原話を載せます。


白馬寺の由来

 滝のね、上の方に、天冠山(てんかんざん)て、山あんにゃわ。
そっから、白馬に乗った人が隆りて来て、
ほで、そこへ(白馬に乗った人の所へ)向けて、
石を放ったやつ(村人?)が岩になったっちゅう。
ほんで、「投げ石滝」っちゅう。


(滝のそばで涼気にやすらぐ筆者)(Foto:S.Aoki)

 ほで、その人(白馬に乗った人)が、衣(ころも)をそこへ掛けといて、
あそこで行(ぎょう)をしたって言うのや。それが、「衣掛け杉」言うねん。

 その白馬寺はな、昔からちょっと有名なお寺らしいわ。
今は無住で、寺があるだけやけれども、
なかなか昔は、ちょっと格式のある寺やったように思うな。

 あの、天からね、白い馬に乗って。ほで、不動はんの上の方に、
この小さい平(だいら)があるねん。ほで、その平は天冠山言うんや。
ほで、そこへ、白い馬に乗って降りて来たんやと。
ほで、彼処(あこ)行て、庵(いおり)を建てて、行(ぎょう)したっ言う。

 書いたもんもあったらしいけれど、
それも火事いたんで、無いようになってんけれども。
                          
(注)白馬寺:曹洞宗。山号は天冠山。
   この寺は、もと真言宗の寺院で清水寺と称した。
   承平七年(937)、金峰山の僧真理法師によって
   天冠山白馬寺と改称されたと伝えられる。
   本尊は不動明王。

原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』 
語り手:萬谷史郎(東吉野村滝野) 不許転載

わらべ歌「やなぎのねかたから」

2010年09月07日 | 日記
「夏の奈良民話祭」では、わらべ歌も歌いました。
参加された方はどんな歌だったか、思いだされますか?

奈良の大仏さん、花さかん、一兵衛さん、
一文めのいんすけさん、やなぎのねかたから 

歌詞も思い出せますか?

奈良の大仏さん、一兵衛さん
については、以前ブログで歌詞を紹介しましたね。

きょうは、「やなぎのねかたから」の歌詞を載せましょう!

 
♪ やなぎのねかたから ♪

やなぎのねかたから おばけがひょろひょろ
おばけのあとから とうふやさんがピイピイピイ
とうふやさんのあとから おしゃれが シャラシャラ
おしゃれのあとから どろぼうがコソコソ
どろぼうのあとから おまわりさんがエッヘンオッホンプイプイプイ
おまわりさんのあとから こいぬがワンワンワン
こいぬのあとから こどもがかけあしかけあしジャンケンポン


わらべうたの時間(歌い部:大西祥子さん)

「力持ちの五郎宗」 in 東吉野・その3

2010年09月05日 | 日記
東吉野に「五郎宗」という力持ちがいたとは実に不思議ですね。
なぜ、こんな話が生まれたのでしょうか?
今回の話では、五郎宗が近江の国にまで出かけ、その名をとどろかせています。


五郎宗と瀬田の唐橋

むかし、五郎宗が旅にでて、滋賀県の瀬田まで来たときや。
大工が大勢で、唐橋の橋杭をよいしょ、よいしょと打ってたんやて。
五郎宗はそれ見て、
「おまえら、それぐらい人が寄らんと、橋杭入らんのか」
いうて笑てんと。そしたら大工が、
「そんないうのやったら、お前打ってみい。お前やったら入るのか」
いうねんて。五郎宗は、
「そんなもん、すぐ入るやないか」いうて、手で橋杭を一本持って、
ぎゃぎゃあーと揺すって、ガアーっと入れたらしいわ。
大工はびっくりして、
「それやったら、お前の欲しいもん、なんでもやるさかいに。
何が欲しいんや」てきいてん。五郎宗は、
「そんなんやったら、この欄干の擬宝珠ひとつくれ」いうてん。
ほんで、その宝珠を持って帰ったいうことや。
瀬田の唐橋の欄干は、今でも擬宝珠がひとつ無いねんて。

原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』 
語り手:萬谷史郎(東吉野村滝野)
再話:村上郁          不許転載


五郎宗の話はこれでおしまいです。

語りと講演『グリム童話と語りの様式 』1ヶ月後に迫る!

2010年09月02日 | 日記
このブログを見ていただいている皆さま!
奈良民話祭りに来ていただいたみなさま!

語りの文化の素晴らしさを満喫していただいていることと存じます。

今回、特に
読み聞かせや語りの実践をされている方、
孫や子に昔話を語ってみたいという方々、
しばしメルヘンの世界に浸ってみたい方々
を対象に、
奈良教育大学図書館の協力を得て、
語りと講演『グリム童話と語りの様式 』を開催することに
なりました。

<講演の趣旨>
グリム童話と同時代にベヒシュタイン童話も刊行されていますが、
当時はグリムよりベヒシュタインの童話のほうが人気があったそうです。
講演では、グリムの『金の鵞鳥』と
その類話であるベヒシュタインの『白鳥よ、くっつけ!』を取り上げ、
実際に語り手の村上さんに語っていただきます。
両者の語りの様式の違いを実感して、語りの魅力に迫りたいと思います。
また、スイスで語られた現代の民話『王女と腹ペコの小びとたち』も紹介し、
時代による語りの変遷の面白さにも触れます。

◇ 日時:10月2日(土) 13:30~15:30
◇ 会場: 奈良教育大学 講義棟101教室

今から予定に入れて、是非いらしてください!

詳しくは、下記サイトをご覧ください。


語りと講演「グリム童話と語りの様式」―『金の鵞鳥』をめぐって― 10月2日


「力持ちの五郎宗」 in 東吉野・その2

2010年09月02日 | 日記
前回のブログにつづいて
さらに、村の英雄「力持ちの五郎宗」の話を紹介しよう!


五郎宗と牛

五郎宗いう人は、力の強い人やってんと。
高見山に参る道に五郎宗岩いう大きな岩があるやろ。
あれは、五郎宗が持って上がったいうことや。
それくらい力の強い人やってんと。

ある日、五郎宗が牛を追うてあるいておったら、
むこうから大名の行列が来てんと。
町の人はみんなへへーっ言うて道ばたに土下座してん。
ところが五郎宗は、牛を連れてるもんやさかい、土下座でけへん。
それどころか、牛にゴソゴソ言うたところで、
牛は動作が遅いさかいに、すぐによけられへん。
ほったら向こうから、警護の侍がやってきて
「お前、早く牛をどかさんか」いうねん。五郎宗は、
「はい、ただいま」いうて、牛の四本の足を持ってポーイと横によけたんやて。

また別の日にはな、五郎宗が二俵の米を牛につけて歩いてたんやと。
ほしたら向こうから荷車引いた人が来て、道が通れへんさかいに、
「五郎宗、よけてくれ」いうてんて。
五郎宗は、
「邪魔になるかのう」いうて、
俵を積んだままで牛をかかえて横へどけたんやと。


(挿絵:木村和煕)

原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』 
語り手:垣外中コチヨ・上野善一(東吉野村平野)
再話:村上郁          不許転載