平成8年(1996年)に初めて大柳生に行き、
比較民話研究会と花園大学の学生さんたちと民話調査をした。
豊かな農村地帯だからこそ、「おふじ井戸」、「狐にだまされた話」など多くの民話をきくことができた。
そこには、氏神・夜支布山口神社のある森がある。
この神社は、平安時代の『延喜式神名帳』にも記載されたとても古い神社である。
夜支布山口神社から右手へ境内を進むと、階段上に朱の社殿が見える。
境内摂社立磐神社である。お社の奥に巨石が鎮座している。
昔の人は、この岩に神が降臨したと信じていたのだ。
この巨石は古代からある古い神社であることを証明している。
その神社の夏祭りが「太鼓踊り」である。
夜支布山口神社の分霊を祀る当屋の家の庭で奉納され、奈良県の無形民俗文化財に指定されている。
ところが、祭りの担い手である当屋の労力も大変で、若い人も少なくなり、
村全体で数年前から場所を夜支布山口神社の前広場に移して行われていた。
そして、昨年の夏、8月18日の祭りがついに最後の祭りとなった。
以下は、その時の映像である。
花餅をつけた御幣を背負い、胸に小鼓をつけた踊り手の氏子が、
太鼓や笛・鉦などの音に合わせて「踊子一般団扇の用意せられりや」と歌っては、
激しく跳躍乱舞する。
太鼓踊りは風流踊りの流れを汲むものである。
全国に見られる太鼓踊りは雨乞いに由来するものが多いとされるが、
大柳生の太鼓踊りは、出陣、凱旋の舞いとも考えられているそうだ。
こんな素敵な祭りが途絶えるとは、なんとしても残念である。
先日も、奈良新聞に地元の中学生が、その無念な思いを投書していた。
江戸時代から400年続くとされる県無形民俗文化財「太鼓踊り」
太鼓を打ちながら踊るため相当の体力が必要だが、少子高齢化で担い手の若者が不足し、継続を断念したのだが、
地元関係者を奈良市民が広くサポートして、「一日も早い復活を」を願いたいものである。
今回のブログは、季節外れの話題になりましたが、
夏以来ずっと心に残っていて、ぜひとも民話愛好家のみなさんにも
大柳生の太鼓踊りを再認識してほしかったのです。
比較民話研究会と花園大学の学生さんたちと民話調査をした。
豊かな農村地帯だからこそ、「おふじ井戸」、「狐にだまされた話」など多くの民話をきくことができた。
そこには、氏神・夜支布山口神社のある森がある。
この神社は、平安時代の『延喜式神名帳』にも記載されたとても古い神社である。
夜支布山口神社から右手へ境内を進むと、階段上に朱の社殿が見える。
境内摂社立磐神社である。お社の奥に巨石が鎮座している。
昔の人は、この岩に神が降臨したと信じていたのだ。
この巨石は古代からある古い神社であることを証明している。
その神社の夏祭りが「太鼓踊り」である。
夜支布山口神社の分霊を祀る当屋の家の庭で奉納され、奈良県の無形民俗文化財に指定されている。
ところが、祭りの担い手である当屋の労力も大変で、若い人も少なくなり、
村全体で数年前から場所を夜支布山口神社の前広場に移して行われていた。
そして、昨年の夏、8月18日の祭りがついに最後の祭りとなった。
以下は、その時の映像である。
花餅をつけた御幣を背負い、胸に小鼓をつけた踊り手の氏子が、
太鼓や笛・鉦などの音に合わせて「踊子一般団扇の用意せられりや」と歌っては、
激しく跳躍乱舞する。
太鼓踊りは風流踊りの流れを汲むものである。
全国に見られる太鼓踊りは雨乞いに由来するものが多いとされるが、
大柳生の太鼓踊りは、出陣、凱旋の舞いとも考えられているそうだ。
こんな素敵な祭りが途絶えるとは、なんとしても残念である。
先日も、奈良新聞に地元の中学生が、その無念な思いを投書していた。
江戸時代から400年続くとされる県無形民俗文化財「太鼓踊り」
太鼓を打ちながら踊るため相当の体力が必要だが、少子高齢化で担い手の若者が不足し、継続を断念したのだが、
地元関係者を奈良市民が広くサポートして、「一日も早い復活を」を願いたいものである。
今回のブログは、季節外れの話題になりましたが、
夏以来ずっと心に残っていて、ぜひとも民話愛好家のみなさんにも
大柳生の太鼓踊りを再認識してほしかったのです。