竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

「もし、ふたりが死んでいなければ、まだ生きています。」 →グリム童話「いばら姫」の結末句だって!

2010年12月27日 | 日記
今年の「奈良民話祭り」も終わり、新年を迎えようとしています。
このブログも開設後9ヶ月になります。
今までは奈良の民話、奈良の伝承文化について綴ってきましたが、
今後はグリム童話など世界の語りの文化に話題を広げます。

そこで今日は何にしようかな?と思案していたら、
窓から我が家の庭に目を向けると、なんとこの寒さの中
バラが健気に咲いているではないか!
(背後には南天の赤い実もみえるでしょ。)



そこで思いついたのが、グリム童話「いばら姫」です。

グリム兄弟の兄ヤーコプは、25歳のとき、
当時22歳であったマリー・ハッセンプフルーク嬢から
「いばら姫」の話を聞き書きしている。

その聞き書き原話を訳して載せましょう。

ある王さまと王妃さまには子どもがひとりもいませんでした。
ある日のこと、王妃さまが水浴びしていると、
一匹のざりがにが水から陸(おか)に這い上がってきて、言いました
「あなたは、まもなく娘を得ることになるでしょう。」
すると、その通りになりました。

喜んだ王さまは盛大な祝宴を催しました。
この国には、十三人の妖精がいましたが、
王さまは金の皿を十二枚しか持っていなかったので、
十三番目の妖精は、招くことができませんでした。
妖精たちは、王女にあらゆる徳や美を授けました。

さて、祝宴が終わりに近づいたとき、十三番目の妖精が来て言いました
「お前たちは私を招かなかったね。そこで、予言しでおくが、お前たちの娘は、
十五歳になったら指につむをさし、それで死ぬでしょう。」

ほかの妖精たちはできるかぎり、これをやわらげようと思って言いました
「王女は、百年の眠りにおちるだけにしましょう。」

けれども、王さまは、国じゅうのつむをすべて処分するようにという命令を出し、
その通り行なわれました。

そして王女が十五歳になったある日のこと、両親は外へ出かけていましたが、
王女は城の中を歩きまわったあげく、ある古い塔にたどりつきました。
その塔には、狭い階段が通じており、やがて王女は小さな戸のところへ来ました。
その戸には黄色い鍵がささっており、王女がそれを回して小部屋に入ると、
そこでは、ひとりのおばあさんが亜麻を紡いでいました。

王女はおばあさんをからかい、自分でも紡いでみようとしました。
すると、王女はつむに刺さり、すぐに深い眠りにおちてしまいました。

ちょうどその瞬聞に、王さまと廷臣たちが帰ってきたので、
お城の中のものはみんな、みんな、壁のはえまでが眠りはじめました。
そして、城全体のまわりには、いばらの垣根が生え広がり、
城のものは何も見えなくなりました。

それから、長い長い年月がたって、ひとりの王子がこの国にやってきましたが、
あるおじいさんがその王子に自分の祖父から聞いて覚えている話を語り聞かせました。
「これまで多くの人々がいばらを通り抜けて行こうと試みたけれど、
みんな、いばらにひっかかつてしまつた」というのです。

ところが、この王子がいばらの垣根に近づと、
いばらはみな花のようになって道をあけ、王子が通りすぎると、
また、いばらにもどりました。

さて、王子が城の中へ入ると、眠っている王女にキスをしました。
すると、みんなは眠りからさめました。そしてふたりは結婚しました。
もし、ふたりが死んでいなければ、まだ生きています。

皆さんはこの話は、よくご存知なので、すっと読めたでしょう。
でも最後の「もし、ふたりが死んでいなければ、まだ生きています。」は
なんだか、変ですよね。でもこれは、ドイツの口伝えの昔話で
よくでてくる結末句なのです。
まあ、日本の昔話の「お話、こっぷりこれでおしまい」にあたります。


春日若宮おん祭の神さんはシンデレラ姫のように夜中12時までに帰宅するってご存知?

2010年12月20日 | 日記
先週金曜日、つまり12月17日は、奈良の年に1度のお祭「春日若宮の875回目おん祭り」でした。
奈良のみなさま、今年もお渡り式を見られましたか?
下記の写真は今年の「お渡り式」の様子です。


第一番 日使(ひのつかい) 第二番 神子(みこ)


第七番 競馬(くらべうま)

おん祭りといえば、平安から江戸時代までのさまざまな時代衣装をつけた千人余りの
行列「お渡り式」を連想されますが、
おん祭りの一番の見どころは、
若宮をお迎えする「遷幸の儀」と若宮をお還しする「還幸の儀」にあります。

12月17日の午前0時になると、境内のすべての明かりが消される。
まず、神官が若宮の社殿の戸をトントンたたかれ、若宮の神さんが社殿からお出ましになる。
多数の神官が捧げ持つ榊に幾重にも囲まれ、白布で包まれた若宮の神さんは、
約1キロ離れたお旅所へ向かう。
ただひとつの松明(たいまつ)の明かりを頼りに進む。
その際、「おおー」という神官のミステリアスな声が闇に響き渡る。
磯笛にも似たその声を聞くと、
参拝に来た人々は、ほんとに神さんが臨在しておられるのだとの
実感を持ち、厳かな、恐れおおい気持ちになる。

この音を聞くと、古代日本人の神観念を今に伝えているのだと深い感動を覚える。
伊勢神宮の20年に一度の遷宮の遷御(とぎょ)にも同じような祭礼が行われているという。

若宮の神さんがお旅所に着き、黒木の仮殿にお入りになると、
神饌(お供え)が捧げられる「暁祭」がある。

夜が明け、そして午後になると、
お渡り行列が県庁前から近鉄奈良駅からJR奈良駅前を回り、
後は三条通りを東に向かう。
そしてお旅所に順次到着する。

午後2時半からは「お旅所祭」。
黒木の仮殿の前に芝舞台があり、午後3時半ころから午後11時ころまで、
神楽(かぐら)、東遊(あずまあそび)、細男(せいのう)、田楽、猿楽、舞楽など、
さまざまな芸能が奉納される。

若宮の神さんは芸能を通じて人々と楽しいひと時を過ごされ、
午後11時を過ぎると、もとの社殿へお帰りになる。
いわゆる「還幸の儀」である。
シンデレラ姫と同じで、夜中の12時を過ぎてはならない決まりになっている。

要するに、正味24時間だけ、若宮の神さんは山中の社殿を離れ、
人里に降りられ、五穀豊穣を祈り、村人たちと楽しい一日を過ごされるというわけである。

みなさん、是非とも、夜中の「遷幸の儀」か「還幸の儀」をみてください。
来年は12月17日は土曜日なので、じっくり見れますよ。
古代の日本人の神観念を今に伝える「厳粛なる原初的な祭礼」を体験してください!
冬の夜半は寒いので、厚手のコートと、はるカイロをお忘れなく!
寒いけど、見る価値はおおいにありますよ!

井氷鹿姫とは?「古事記神話」から「ふるさとのロマンチックな伝説」へ

2010年12月13日 | 日記
奈良の人々は「古事記」の物語をどう伝えてきたのでしょうか?

今日はその事例として「井氷鹿姫」を取り上げましょう!

記紀神話に、神武天皇が熊野から吉野に入り、井氷鹿/井光(いひか)という人物に出会っている。

「古事記」ではこう伝えている。

 尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
 ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
 「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
 こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。

また、「日本書紀」ではこう伝えている。

 人有りて、井の中より出でたり。光りて尾有り。
 天皇問ひて曰く「汝は何人ぞ」。応えて曰く
 「臣は是れ国神なり。名を井光(いひか)と為す」。
 此れ即ち吉野首部(よしののおびと)が始祖なり。

記紀神話はよく似た話で、井光は穴の中から現われ、しっぽが生えていたと伝えています。
古事記では「井戸」が光っていたとするのに対して、日本書紀では、光っていたのは「井光の体」です。

なぜ、井戸が光っていたのでしょう?
その井戸は掘ったら、水銀が出てきたので、上から見ると、光っていたのでしょう。

さて、記紀神話、いわゆる文献では以上のように記載されているのですが、
土地の人々は、どのように語っているのでしょうか?

比較民話研究会の私どもが吉野山で1994年春に調査した話では
次のように語られていました。

井光の井戸

むかし、神武天皇が九州から東に向かって進んできて、吉野山を越えて行かはってんて。
そのとちゅう、山の中腹に大きな杉の木があって、根もとのとこに井戸があってん。
神武天皇がその井戸のとこを通りかかると、井戸の中からものすごい光がさして来てんて。
みながびっくりしてるとな、光の中からしっぽのある人が出てきて、神武天皇の前にひれふしたんやて。
神武天皇が、「お前は何ものか」て聞かはったら、その人は、
「私は、この吉野山に住む吉野首(おびと)というものです。
天皇の道案内をしてさしあげようと思って、お待ち申し上げておりました」いうねんて。
神武天皇は喜んで、吉野首に道案内してもろて、また東に向かって行ったいうことや。
その井戸は今もあって、近くに井光山(いびかりざん)いうお寺と、井光神社いうてちいちゃい祠があるねん。

原話:『奈良県吉野町民間説話報告書』
再話:村上郁

私どもの聞いた別の話ではこう語っています。

この井戸には井氷鹿姫が住んでいたのです。

その証拠に井光神社が奈良県吉野郡川上村井光にあり
祭神は「井氷鹿姫」だそうです。

庶民の伝える話はロマンチックですよね。


(挿絵:マスダ ケイコ)

杉の根元に井戸があり、そこを天皇が通りかかり、
井氷鹿姫が井戸の中から現れ、天皇に水を差し出し、言葉をかわしたというのですから。

万葉集以来、日本文学の恋の舞台の伝統的なシーンのひとつは
「木の生えた泉のほとりで男女が愛の言葉を交わす」
なんですからね!


英国のグリム:ジェイコブス と イソップ寓話

2010年12月06日 | 日記
奈良民話祭りが無事終わりましたので、
ここらで、ちょっと話題をお話の世界に戻しましょう!

グリム兄弟が当時のドイツでメルヘンを集めたように、
ジョーゼフ・ジェイコブズはイギリスで民話を集めました。

たとえば、「ジャックと豆の木」、「3匹の子豚」などは
誰でも知っていますよね。

これは、ジェイコブズの『イギリス民話集』に収められた
典型的なイギリスの民話です。

ジェイコブズも、グリム兄弟がやったように、
採集した話の内容を変えないで、
方言なども出来る限り生かして、再話をしています。

そうゆうわけで、ジェイコブズが
「イギリスのグリム」といわれるのも納得できるでしょう。

また、ジェイコブズは学者として、イソップの研究でも
功績を残していることを知りました。

それは、11月11日のブログで紹介した展示
「梅花女子大学・児童文学教育と研究28年の歩み」で
共同研究「イソップ」関連資料をみたからです。

その資料の中にジェイコブズ編『イソップ寓話』が
ありました。

The Fables of Aesop
Traced by Joseph Jacobs
Pictures by Richard Heighway.
Macmillan, 1894



表紙の絵は「キツネとカラス」の挿絵です。

それではその話を語りましょう!

         キツネ と カラス

 ある日のこと、カラスが一片のチーズを盗み、
ゆっくり食べるようにと、それをくわえて樹に飛んで行った。

 カラスがそれをくわえて樹に止まっていると、
ちようどキツネが通りかかり、仰向いてカラスを見た。

 キツネは思った
(あー、あのチーズの匂いがなんともたまらない。
あれを奪ってやろう、なあにそれは簡単さ!)

 キツネは樹に近寄って来て、カラスに言った。
「奥さん、なんてあなたは美しくていらっしゃるんでしよう!
こうも稀れな美貌をそなえていらっしゃろうとは、
今の今まで存知ませんでした。
羽色の艶々しさ、お姿の美しいように、
お声もきっと美しいのでしょうね。
そうなら、あなたは、鳥の女王ですよ!
一つ歌って聞かせて下さいませんか?」

 ところで、カラスの、「かあ! かあ!」という声が音楽的でないことは
世に知れ渡っていた。
 用心すべきであったのに、カラスは、キツネのお世辞があまり嬉しかつたので、
キツネに美しい声を聞かせてやろうとして、
口を開いた途端に、チーズが落ちて、
下で待ち構えていたキツネの口に入ってしまった。

 キツネはそれをひとロで食べてしまい、
それから、ちよっと立ち止まって言った。

「親愛なるカラスさん、あなたの声は十分に美しいですよ。
でも、おつむが足りないですね!」


 褒められていい気になりすぎると、痛い目をみることになるぞ!!

おしまい。




秋の奈良民話祭り・盛会!・多謝!

2010年12月02日 | 日記
秋の奈良民話祭は、11月27日・28日の2日間にわたり、
国際奈良学セミナーハウスで行われ、
延べ約200人の方が参加してくださり、
とても楽しい会になりました。


子どもたちも喜んで参加してくれました!


フィナーレ:笑顔の語り手たち!


上記の讀賣新聞の紹介記事を見て、来てくださった方もいましたよ!

毎日新聞にも取り上げていただきました!


詳しくは、下記のサイトをみてくださいね。

奈良民話祭り:50人、耳傾ける

来てくださったみなさま、ありがとう!

再来年は「古事記」誕生1300年です。
それに向けて来年も「民話祭り」を開催いたします!!

来年も民話祭りでまた会いましょう!

The Namin-Teller(奈良の民話・語り部)のみなさま、お疲れさまでした。

奈良の民話を語りつぐ会 代表 竹原威滋