吉野の民話地図作成の資料あつめのため、
8月19日、20日と東吉野村と吉野町にフィールドワークを
してきました。
長年調査したなじみのある地域なので、
効率よく、伝説の背景にある事物を確認できました。
しばらく、ブログでは、吉野の民話を取り上げましょう!
東吉野村の街道筋にニホンオオカミの像が立っています。
(奈良教育大学教授 故久保田忠和先生制作)
なぜかというと、1905年(明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された
若いオスのニホンオオカミが確実な最後の生息情報、という。つまり、
「日本オオカミは東吉野で絶滅した!」といえるのである。
オオカミの顕彰のため、その像が建てられたのです。
というわけで、私どもが集めた東吉野の民話にもオオカミの話は、数話あります。
そのひとつを紹介します。
オオカミのおんがえし
むかしは吉野にもオオカミがすんどったんやで。
ある月夜のこと、オオカミが村の在所に来てギョオー、ギョオー鳴きよるねん。
鳴いて鳴いてしゃあやないもんやよってに、村のもんが何か知らんと思て、出ていって見てん。
そしたらオオカミがえらい苦しそうやねん。
オオカミの口をあけてのぞいてみたら、のどに牙が刺さっててんて。
たぶん猪を食べてその牙が刺さったんやろ。村のもんは
「そんなんやったら、おまえ、その牙抜いたるさかいにな、噛みも何もすんなよ」
て約束さして、牙抜いたったんやてな。オオカミ、喜んで帰って行きよったんや。
そしたら、その明くる日、その人の家の前にえらい大きい猪が転がしたあってんて。
「こら、オオカミが持ってきてくれたにちがいない」て、みなでいうてたんやて。
原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』
語り手:萬谷史郎(東吉野村滝野)
再話:村上郁 不許転載
このように、東吉野の村人たちは動物と交流を持ちながら、生活していたのですね。
8月19日、20日と東吉野村と吉野町にフィールドワークを
してきました。
長年調査したなじみのある地域なので、
効率よく、伝説の背景にある事物を確認できました。
しばらく、ブログでは、吉野の民話を取り上げましょう!
東吉野村の街道筋にニホンオオカミの像が立っています。
(奈良教育大学教授 故久保田忠和先生制作)
なぜかというと、1905年(明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された
若いオスのニホンオオカミが確実な最後の生息情報、という。つまり、
「日本オオカミは東吉野で絶滅した!」といえるのである。
オオカミの顕彰のため、その像が建てられたのです。
というわけで、私どもが集めた東吉野の民話にもオオカミの話は、数話あります。
そのひとつを紹介します。
オオカミのおんがえし
むかしは吉野にもオオカミがすんどったんやで。
ある月夜のこと、オオカミが村の在所に来てギョオー、ギョオー鳴きよるねん。
鳴いて鳴いてしゃあやないもんやよってに、村のもんが何か知らんと思て、出ていって見てん。
そしたらオオカミがえらい苦しそうやねん。
オオカミの口をあけてのぞいてみたら、のどに牙が刺さっててんて。
たぶん猪を食べてその牙が刺さったんやろ。村のもんは
「そんなんやったら、おまえ、その牙抜いたるさかいにな、噛みも何もすんなよ」
て約束さして、牙抜いたったんやてな。オオカミ、喜んで帰って行きよったんや。
そしたら、その明くる日、その人の家の前にえらい大きい猪が転がしたあってんて。
「こら、オオカミが持ってきてくれたにちがいない」て、みなでいうてたんやて。
原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』
語り手:萬谷史郎(東吉野村滝野)
再話:村上郁 不許転載
このように、東吉野の村人たちは動物と交流を持ちながら、生活していたのですね。
日本狼が、最後に吉野にいたとは、しりませんでした。