竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

「力持ちの五郎宗」 in 東吉野・その1

2010年08月31日 | 日記
毎日、暑いですね!

今日はローカルな村の英雄「五郎宗」の話を紹介しよう!
この話を聞いて、暑さを吹き飛ばそう!?

東吉野村にはこんな力持ちがいたそうですよ!


五郎宗の竹百本

 むかし、平野に、田中五郎宗いう男がおってん。
この辺の人は、だれもかれも力が強いのに、
五郎宗だけは、若いときから力が弱かってんて。
それで、(わしもひとつ、もうちょっと力強うならなあかん)
と思うて、高見山へ日参して、願かけしたそうや。
五郎宗は毎日、竹一本ずつ持って高見山へ登っていってん。
百日目の満願の時、竹が百本になった。
ほしたら、最初の日は一本の竹でも重かったのが、
百日目には百本の竹たばねて、持つことができてんと。

 五郎宗は、その百本の竹を、ぐっと背たろうて帰ってきたところが、
足が地面へめり込んで歩けへん。力もあるし、
竹も重いし。ほんで、これではいかんと思うて引き返して、
 「時と場合によって、その、敵の倍の力を授けてください。
 その間では、もう力いりません」
て、高見山にお願いして、帰ってきたそうや。
それから、五郎宗の活躍が始まるわけや。


原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』 
語り手:上野善一(東吉野村平野)
再話:村上郁          不許転載

吉野の民話「義経の隠れ塔」

2010年08月29日 | 日記
吉野の人々は心やさしい。
政治の表舞台で敗者になって山深い吉野に逃げてきた人をやさしく迎えてきた。

頼朝に追われた義経は、吉野山の奥深くに遁れた。

それにはこんな話が伝えられている!


義経の隠れ塔

源義経は頼朝の弟で、はじめは兄弟仲がよかってんて。
けど、義経の勢いがあんまり強かったので、頼朝が、
(これはうかうかしとったら、自分もやられるかも分からん)
と思うようになってん。
とうとう、義経は頼朝に追われる身になってしもうてんて。

義経は、頼朝に追われて吉野山まで逃げて来てん。
吉野山の吉水神社に逃げこんだんやけど、
蔵王堂の横川(よがわ)の覚範いう坊さんが攻めて来たんや。
義経と弁慶はまた逃げだし、奥千本のほうまで逃げていった。
そこに、役行者が行場として作った塔があったから、
ふたりはそこに逃げこんだんや。



それで、その塔のことを隠れ塔て言うようになってん。
けど、敵が塔のまわりを取り巻いて攻め立てるので、
こんどは塔を蹴破って逃げてん。
そやから蹴破りの塔ともいわれてる。

そのあと、安宅の関越えて平泉まで逃げていったんやな。
義経の隠れ塔は行場やから、今でも大峰山にお参りする人は
塔にはいって行をするねん。

   吉野山 御山の奥の隠れ塔
   本来空の 住みかなりけり
   オン アビラ ウンケン ソワカ

いうのを三回お唱えしてお祈りするねんて。


原話:『奈良県吉野町民間説話報告書』 
再話:村上郁       不許転載


七曲の玉にどうしたら糸を通せるの?東吉野の蟻通明神縁起

2010年08月25日 | 日記
東吉野村大字 小(おむら)に丹生川上神社中社があるが、
江戸時代から「蟻通明神」とも称された。
その名残は神社の東にある橋の名称にもみられる。


左手前の欄干に「蟻通橋」とあるのがみえますか?


蟻通神社については次のような話が語りつがれている。


蟻通明神(ありとおしみょうじん)

むかし、お殿さんが、
「年寄りは飯を食うし、はたらきもない。山に捨ててしまえ」て命令を出さはってん。
 ところが、あるところに、ひとりのむすこがおって、
親を山に捨てるのはいややというて、家の中に芋穴を掘って父親を隠したんやと。
ほんで、毎日食べ物を運んで養うてたんや。

 あるとき、お殿さんにとなりの国から難しい問題を出してきたんや。
けど、だれも答えが分かるもんがおらへん。
その問題のひとつは、七曲の玉に穴があいていて、「この穴に糸を通してみよ」いうことやった。
むすこは、芋穴のなかの父親に尋ねてみた。
父親は、
「そりゃ、蟻の足に糸をつけて穴の中に入れて、出口の穴に蜜をぬっといたらええ。
蟻は蜜を慕うて行くから、糸がとおる」いうて教えてくれた。
二つめの問題は、四角い木があって、本と末がわからへんねんけど、
「本と末を当ててみい」いうことやった。
父親は、
「そりゃ、水につけたら分かる。もとのほうが重たいから、かすかに沈む」いうた。
 さいごは、「灰で縄をこしらえてみい」いうことや。
父親は、
「そりゃ、なんでもないことや。縄に塩をぬって焼いたら形が残る」いうた。
むすこはさっそくお殿さんのとこへ行って、答えを教えたんやて。
お殿さんは喜んで、むすこに、
「ほうびをやろう」いわはった。
むすこは、
「じつは、これこれで、私の父親を隠して養うていますが、
三つの問題は、みな父親が答えてくれました。
どうか、父親が死ぬまていっしょに暮らせるように、
山に捨てんでもええようにしてください」て頼んだんやて。

 お殿さんは、年寄りの知恵を認めて、それからは、
年寄りを山に捨てるいうことをやめにしてんて。

この孝行息子をまつったあるのが蟻通明神やねん。


原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』 
語り手:坪井貞幸(東吉野村小)
再話:村上郁          不許転載


東吉野の子だもたちはこんな話を聞いて
親孝行の大切さを実感したのですね。

この話は文献的には、『枕草子』(226段)にも載せられており、
また、能にも「蟻通」というのがありますよ。

日本オオカミは東吉野で絶滅した!

2010年08月23日 | 日記
吉野の民話地図作成の資料あつめのため、
8月19日、20日と東吉野村と吉野町にフィールドワークを
してきました。
長年調査したなじみのある地域なので、
効率よく、伝説の背景にある事物を確認できました。
しばらく、ブログでは、吉野の民話を取り上げましょう!

東吉野村の街道筋にニホンオオカミの像が立っています。


(奈良教育大学教授 故久保田忠和先生制作)

なぜかというと、1905年(明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された
若いオスのニホンオオカミが確実な最後の生息情報、という。つまり、
「日本オオカミは東吉野で絶滅した!」といえるのである。
オオカミの顕彰のため、その像が建てられたのです。


というわけで、私どもが集めた東吉野の民話にもオオカミの話は、数話あります。
そのひとつを紹介します。


オオカミのおんがえし

むかしは吉野にもオオカミがすんどったんやで。
ある月夜のこと、オオカミが村の在所に来てギョオー、ギョオー鳴きよるねん。
鳴いて鳴いてしゃあやないもんやよってに、村のもんが何か知らんと思て、出ていって見てん。
そしたらオオカミがえらい苦しそうやねん。
オオカミの口をあけてのぞいてみたら、のどに牙が刺さっててんて。
たぶん猪を食べてその牙が刺さったんやろ。村のもんは
「そんなんやったら、おまえ、その牙抜いたるさかいにな、噛みも何もすんなよ」
て約束さして、牙抜いたったんやてな。オオカミ、喜んで帰って行きよったんや。
そしたら、その明くる日、その人の家の前にえらい大きい猪が転がしたあってんて。
「こら、オオカミが持ってきてくれたにちがいない」て、みなでいうてたんやて。

原話:竹原威滋・丸山顕徳編『東吉野の民話』
語り手:萬谷史郎(東吉野村滝野)
再話:村上郁          不許転載


このように、東吉野の村人たちは動物と交流を持ちながら、生活していたのですね。


わらべ歌「一兵衛さん」

2010年08月21日 | 日記
「民話祭り」に参加された方より
わらべ歌「一兵衛さん」の歌詞を教えて欲しいとの
要望がありましたので、
ブログに載せました。

   「一兵衛さん」

一兵衛さんが いも切って いも切って
二兵衛さんが 煮て食った 煮て食った
三兵衛さんが 酒飲んで 酒を飲んだら
四兵衛さんが 酔っぱらった 酔っぱらった
五兵衛さんが ごほほんって ごほほんっていばっても
六兵衛さんは ろくでなし ろくでなし
七兵衛さんが しばられて しばられて
八兵衛さんが 蜂にさされて 蜂に刺されて
九兵衛さんが 薬を塗って 薬を塗って
十兵衛さんが 重箱かついで 重箱かついで
あっぷっぷ


わらべうたの時間(歌い部:大西祥子さん)



なぜクラゲに骨がないの?「猿の肝」の比較研究

2010年08月21日 | 日記
奈良の市窪猿の話は「猿の生肝」という話型で全国的に語られています。
奈良の話では、ヒラメが告げ口しますが、全国的にはクラゲが告げ口をして、
その罰で骨抜きにされたと語る事例が多いです。
つまり、クラゲに骨のない由来などで結ぶ動物昔話になっています。

全国的に多い話のパターンを紹介します。

竜宮の乙姫が病気になり、猿の生肝を食うとなおるという。
竜王の命令で、亀が猿をだまして連れてくる。
ところが門番のクラゲが、猿に生肝を取るのだと告げてしまう。
猿は肝を木に干してきたと亀をあざむき、
陸地につれ帰らせて逃げてしまう。
クラゲは罰として骨を抜かれ、あのような姿になる。

奈良の話では、竜宮城の乙姫さんが気まぐれに
「猿の肝 食べてみたいわぁ」と言うのですが、
たいていは病気を治すために猿の生肝を調達にいくことになっています。

文献では『今昔物語集』巻5に、妻の亀が懐妊して生肝を欲しがったので、
夫の亀が猿を連れに行く話があります。

国際的には「心臓を置き忘れた猿」(Monkey who Left his Heart at Home)
と呼ぶ話型に属し、
この昔話の原型は、古代インドの説話集『パンチャ=タントラ』や
ジャータカ(本生経)に、猿とワニの組み合わせでみえ、
東西アジアの諸地域には、これらの文献の諸国語訳をとおして、
伝えられた時代があったようです。
朝鮮では兎と亀、タイのシャン族では猿とワニ、
チベットでは猿と亀として語られます。
東ヨーロッパにも知られ、また、アフリカ、南アメリカにも類話があります。

参考資料:『日本昔話事典』(弘文堂)の項目「クラゲ骨なし」(中島恵子著)より

奈良の民話「猿の肝」その2

2010年08月19日 | 日記
前回の続きです。


 猿 の 肝


市窪猿が亀の背中に乗ったと思う間に、あっという間に龍宮城。
何万匹という魚が出迎えました。
魚たちは、初めて見る猿を、背伸びして珍しそうに眺めました。
その中を、市窪猿は、亀に乗ってゆうゆうと進んでいきました。
そのとき、阪原村のひらめが、こっそり市窪猿の耳元で言いました。
「おまえは今晩殺されて、乙姫さまに肝を食べられることになってるんやで。
気つけや」
市窪猿は知らんふりをして、亀に乗って、
竜宮城の奥へ奥へと進んでいきました。
そして、大きい本殿が見えてきたとき、
急に思い出したように言いました。
「亀さん。おれ えらいもん 忘れてきたわ。
今日は天気が良かったから、
肝を洗って 柿の木に干しといたんや。
そこへおまえがきたもんやから、
肝をそのまま そこへ置いてきてしもたわ」
亀はびっくりしました。
肝心の肝を忘れてきたら、どうしようもない。
亀は猿を背中に乗せて、慌てて肝を取りに戻りました。
阪原村に着いて、柿の木の下まで来たら、市窪猿は、
「あった、あった」と、叫びながら、柿の木の上に
するするっと登っていきました。
亀は木の下で じーっと待ちました。
けれども、いつまでたっても 猿はおりて来ません。亀は、
「市窪猿さん、はよ おりてきてーな」と、
何回も何回も頼みましたが、猿はおりて来ません。
そのうち夜になってしまいました。
残念なことに、亀は木のぼりができません。
すごすごと竜宮城に帰っていきました。
ひらめは、市窪猿に耳打ちしたことがばれて、
以来、川には戻れないようになってしまったそうです。


原話:島田芳夫編著『大和の伝説覚書』(稿本)
再話:村上郁 → 田中美菜 → 小西雅子

この話は「猿の生胆」という話で、その類話は全国的に分布しています。
次回のブログでは、この話の比較研究をしましょう。

奈良の民話「猿の肝」その1

2010年08月17日 | 日記
夏の奈良民話祭りでは、奈良の伝説ばかりでなく、
日本全国で語られている昔話の奈良ヴァージョンも語られた。

話の筋が面白くて引き込まれる話である。
そのひとつが、「猿の肝」である。
奈良の民話を語りつぐ会の語り手たちの中でも人気のある話である。

原話は、島田芳夫編著『大和の伝説覚書』(稿本)である。
村上郁さんが、昨年の「NHKお話ステージ in 燈花会」で語られ、
今回、奈良民話祭では、田中美菜さんと小西雅子さんが語られた。


  猿 の 肝


むかし、竜宮城の乙姫さまが、
「猿の肝 食べてみたいわぁ」と言いました。
けれども、竜宮城は海の中です。
山にすむ猿がどこにいるのか、見当もつきません。
竜宮城は大騒ぎ。
すると、ちょうどいいぐあいに、奈良の阪原村から、
ひらめがお手伝いに来ているのがわかりました。
大臣がひらめを呼び出して、
「おまえは、猿がどこにいるか 知っているか」と、
尋ねると ひらめは、
「はい。知っておりますとも。
私の村には、とてもりっぱな猿がおります。
市窪猿というて、大きな猿でございます」
と答えました。
乙姫さまは、それを聞くと、
「はよう、市窪猿の肝 食べたいわぁ」と言いました。
けれども、竜宮城から 山の中の阪原村まで行くのは遠すぎます。
それで、阪原村に宮渕といって、竜宮城の入り口をつくって、
阪原村と竜宮城をつなぐ道をつけることになりました。
道ができたら、今度は、市窪猿をうまくだまして、
竜宮城までつれて来なければなりません。
その役目を仰せつかったのが、知恵の深い年寄りの亀です。
亀は、新しい道のおかげで、すぐ阪原村に着きました。
けれども、山の中は初めてで、西も東もわかりません。
見ると、川に小さな亀がいました。そこで、
「市窪猿がおる 市窪山はどこや」と聞いたら、
川の亀は、東の山を指さして、
「すぐそこですわ」と言いました。
竜宮城の亀が 教えてもらった道をあがっていったら、
大きな柿の木の上で、市窪猿がうつらうつら居眠りしていました。
「ちょっともの申しあげます。ちょっともの申しあげます」
亀が大きい声で叫んだら、市窪猿は目を覚ましました。
亀は、
「竜宮城と阪原村に道がついたお祝いに、今夜、
竜宮城で大宴会が開かれます。この席にお山の大将
市窪猿殿をお招きしたいという、乙姫さまたっての望みです。
なにとぞ お聞き届けになって、私といっしょに
竜宮城までお越しくださいますよう お願いします」
と言いました。
市窪猿は、(そんな便利な道ができたのなら、いっぺん行ってみよか)
という気になって、
「亀さん、そんなに丁寧にいうてくれるんやったら、行かしてもらうわ。
案内よろしく頼むで」と言って、柿の木から下りてきました。

この続きは次回のブログで。お楽しみ!

夏の奈良民話祭・盛会!感謝!

2010年08月14日 | 日記
夏の奈良民話祭は、8月11日・12日、2日間にわたり、
国際奈良学セミナーハウス旧世尊院で行われ、とても
楽しい会になりました。
今日はその様子をフォトで綴りましょう!


正面、奥の旧世尊院、民話を語るのにぴったりの会場。


子どもたちも目を輝かせて聞いてくれました。


竜宮城のお姫様は「猿の肝を食べたいわ!」と言いました。
さてどんな展開になるのかな?


紙芝居「良弁杉」に聞き入る「せんとくん」と「ナーミンちゃん」


フィナーレは、わらべうた「奈良の大仏さん」で鬼あて遊び。


奈良新聞にも記事が載りました。
奈良テレビの「夕ドッキ」でも放映されましたよ!

NHKならナビでは「この人に聞く」で事前に取り上げていただきました。

来てくださったみなさま、ありがとう!
秋の民話祭りでまた会いましょう!

The Namin-Teller(奈良の民話・語り部)のみなさま、お疲れさまでした。

奈良の民話を語りつぐ会 代表 竹原威滋

奈良テレビ「ゆうドキッ!」で民話祭が報道されました!

2010年08月12日 | 日記
昨日の民話祭、2回の公演に会場をほぼ満たす方々にお集まりいただきました。
お孫さん、お子さん連れで楽しいひと時を過ごしていただきました。


語りを聞く子どもたち

昨日、夕方の奈良テレビ「ゆうドキッ!」で民話祭が報道されました!
奈良の民話を語るイベントは、きっとユニークで、
県民にとって「ドキッ!」とする内容だったのでしょう!

ブログを見ておられる皆さま、
台風が近づき、雨模様かもしれませんが、
是非、いらしてください!

※ 駐車場はありませんので公共交通機関をご利用ください。
  会場への案内は下記のサイトをご覧ください。

国際奈良学セミナーハウス案内地図・アクセス


本日の民話祭りのプログラムは、以下の通りです。

★8月12日(木)のプログラム
☆1回目13:30~14:30
ご挨拶
わらべ歌  奈良の大仏さん
語り  鬼子母神とザクロ
語り  おふじ井戸
紙芝居  良弁杉
わらべ歌  花さかん
語り  北林のたぬき
語り  猿の肝
紙芝居  いうなの地蔵
わらべ歌  一兵衛さん
語り  弘法清水
語り  おに女房
わらべ歌  奈良の大仏さん
ご挨拶

☆2回目15:00~16:00
ご挨拶
わらべ歌  奈良の大仏さん
語り  蛙になった人間
語り  ほととぎすの声
紙芝居  いうなの地蔵
わらべ歌  一文めのいんすけさん
語り  中将姫
語り  久米の仙人
紙芝居  帯解の龍
わらべ歌  やなぎのねかたから
語り  虫の知らせ
語り  あんころもちとあみださん
わらべ歌  奈良の大仏さん
ご挨拶


ご覧のように、地域的には ならまちの話、吉野の話、柳生の話など
ジャンル的には、恋の話、妖怪話、笑い話とヴァラエティに富んでいます。
わらべ歌、紙芝居もあります。
もちろん、すべて奈良で伝承されたお話や歌ですよ。

では、会場でお会いしましょう!
よろしかったら、お声をかけてください。

奈良の民話を語りつぐ会代表  竹原威滋

夏の奈良民話祭りのプログラムが決まる!

2010年08月11日 | 日記
いよいよ、「夏の奈良民話祭り」は、
本日、8月11日から2日間、奈良学セミナーハウスにて開催されます。

※ 駐車場はありませんので公共交通機関をご利用ください。
  会場への案内は下記のサイトをご覧ください。

国際奈良学セミナーハウス案内地図・アクセス

一昨日、リハーサルで語りの仕上げをしました。
皆さんのお越しを待ってます。



語りの仕上げをする語り部たち


奈良民話祭りのプログラムを、ブログをご覧のあなたにそっとお教えしましょう!

★8月11日(水)のプログラム
☆1回目13:30~14:30
ご挨拶
わらべ歌  奈良の大仏さん
語り  鬼子母神とザクロ
語り  采女神社の話
紙芝居  良弁杉
わらべ歌  花さかん
語り    奈良の大仏と京の大仏
語り 猿の肝
紙芝居 いうなの地蔵
語り 広岡の腰痛地蔵
わらべ歌 一兵衛さん
語り 蛙になった人間
わらべ歌 奈良の大仏さん
ご挨拶

☆2回目15:00~16:00
ご挨拶
わらべ歌 奈良の大仏さん
語り 久米の仙人
紙芝居 帯解の龍
わらべ歌 一文めのいんすけさん
語り 不審ヶ辻の鬼
語り おふじ井戸
紙芝居  いうなの地蔵
わらべ歌  やなぎのねかたから
語り  虫の知らせ
語り  おに女房
わらべ歌  奈良の大仏さん
ご挨拶


★8月12日(木)のプログラム
☆1回目13:30~14:30
ご挨拶
わらべ歌  奈良の大仏さん
語り  鬼子母神とザクロ
語り  おふじ井戸
紙芝居  良弁杉
わらべ歌  花さかん
語り  北林のたぬき
語り  猿の肝
紙芝居  いうなの地蔵
わらべ歌  一兵衛さん
語り  弘法清水
語り  おに女房
わらべ歌  奈良の大仏さん
ご挨拶

☆2回目15:00~16:00
ご挨拶
わらべ歌  奈良の大仏さん
語り  蛙になった人間
語り  ほととぎすの声
紙芝居  いうなの地蔵
わらべ歌  一文めのいんすけさん
語り  中将姫
語り  久米の仙人
紙芝居  帯解の龍
わらべ歌  やなぎのねかたから
語り  虫の知らせ
語り  あんころもちとあみださん
わらべ歌  奈良の大仏さん
ご挨拶


ご覧のように、地域的には ならまちの話、吉野の話、柳生の話など
ジャンル的には、恋の話、妖怪話、笑い話とヴァラエティに富んでいます。
わらべ歌、紙芝居もあります。
もちろん、すべて奈良で伝承されたお話や歌ですよ。

では、会場でお会いしましょう!
よろしかったら、お声をかけてください。

奈良の民話を語りつぐ会代表  竹原威滋

丸山編「奈良伝説探訪」が奈良新聞に紹介される!

2010年08月09日 | 日記
丸山顕徳先生が『奈良伝説探訪』を三弥井書店から刊行されたことは
すでに5月3日のブログで紹介しましたが、
このほど、『奈良新聞』に紹介の記事が掲載されました。


『奈良新聞』8月5日掲載記事

奈良の民話・伝説の背景を知るのに、とても便利な手引書です。
改めて、奈良の民話を愛する方々にお薦めいたします。

私の推薦の言葉は下記のブログ(5月4日)をご覧ください。

万葉文学や考古学の手の届かないところに南都文化の深さがある

NHKならナビで「奈良民話祭り」が紹介されます!

2010年08月09日 | 日記
いよいよ、民話祭まで1週間をきりました。

下記サイトを参照ください。

「奈良民話祭り」 8月11日・12日 午後1時半より 国際奈良学セミナーハウス

幸い、NHKならナビで「奈良民話祭り」が紹介されます。

この人に訊く ~ 奈良の民話を語り継ぎたい
奈良の民話を語りつぐ会代表 奈良教育大学特任教授 竹原威滋さん

なお、本学の「地域と伝統文化」教育プログラムで作成した
「ならまち民話地図」についても紹介されます。


<番組名>
NHK奈良 総合 デジタル1CH
『ならナビ』 
この人に聞く ~奈良の民話を語り継ぐ

<日時>
平成22年8月9日(月)
午後6時10分~午後7時00分

<内容>
 奈良の民話を語る催し「夏の奈良民話祭り」が今月11・12日に奈良市の国際奈良学セミナーハウスで開かれます。
民話を語るのは「奈良の民話を語りつぐ会」のメンバー。
この会は、一般の人たちに奈良の民話を語り継いでいってもらおうと竹原さんが作りました。
「核家族化が進み、お年寄りが孫たちに民話を語る機会が減り、民話も途絶えつつある。
しかし、民話には人生観や自然への畏怖の念など大切なものがつまっている」と語る竹原さんに奈良の民話の魅力と、
会の活動などお話をうかがいます。

是非、見てくださいね。

「全国あかりサミットin奈良」見てきました。

2010年08月06日 | 日記
一昨日、「全国あかりサミット in 奈良」の最終日8月4日に
見てきました。

たくさんの人が来ていました。

あかりのロマッチックさを以下の写真で味わってください。


神戸ルミナリエ


横濱キャンドルカフェ


OSAKA光のルネサンス

昨日より、「なら燈花会」が始まりました。

そして、奈良民話祭りもすぐです。

是非、きてくださいね!

「かすがサマーシアター」でお話を語る

2010年08月05日 | 日記
一昨日、奈良市春日公民館で「かすがサマーシアター」があり、
奈良の民話を語りつぐ会の方々がお話を語ってくれました。



語ったお話は、「奈良の大仏と京の大仏」、「鬼子母神とザクロ」
「ほととぎすの声」、「虫のしらせ」でした。
それに紙芝居は「良弁杉」、「帯解の龍」でした。
最後に、わらべ歌「ならの大仏さん」を歌いながら、
鬼あて遊びをしました。

暑い日でしたが、子どもたちは楽しいひとときを
過ごせたことと思います。
語り手のみなさま、ご苦労さまでした。