竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

金閣寺と竜安寺に行ってきました!石庭と鏡容池を見て夕涼み!

2015年08月22日 | 旅行
夏休みを利用してデンマーク人の友人が来ましたので、京都を案内しました。
昨年は、この友人がアンデルセンのゆかりの地を案内してくれたので、そのお返しです。

彼はまず金閣寺を見たいというので、行きました。


少し曇り日でしたが、やはり金色に輝き、鏡湖池に映る「逆さ金閣」ともども美しいでした。

近くにあったパネル展示を見ました。


初層内部には宝冠釈迦如来像と足利義満像があるのを初めて知りました。


つぎに訪れたのがお隣の竜安寺です。


この石庭は石の配置から「虎の子渡しの庭」とも「七五三の庭」とも呼ばれています。
静かに見つめていると、一瞬、暑さを忘れました。

石庭の前から裏手に回ると、茶室の露地に「知足の蹲踞(つくばい)」がある。
蹲踞とは、茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のことです。


よく見ると、「五・隹・疋・矢」と読めるが、
水溜めに穿った中心の口を共有すれば「吾唯知足」(われ、ただ足ることを知る)と成る。
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を
謎解き風に図案化したものだそうです。
すこし、禅の精神を勉強できました。

最後に庭園の鏡容池にいきました。


蓮池に浮かぶ「つがいの白鳥」を見て、夕涼み!

とても楽しい一日でした。
友人は日本文化の一端に触れ、満足した様子でした。

そろそろ、残暑もあと少し、
また、来週末にブログでお会いしましょう!

竹原威滋



世界遺産:宇治平等院の桜を見て、心をなごませました!

2015年04月03日 | 旅行
みなさん、今日は世界遺産:平等院の話題です。
平等院は日本のお金にも載っているのをご存知ですか?


鳳凰堂 十円硬貨表面(左側)


鳳凰像 壱万円紙幣裏面左側

藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源重信の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、
その子頼通が永承7年(1052年)、寺に改めたものです。

その鳳凰堂が半世紀ぶりの大規模修理が完了、公開されました。

ちょうど桜で満開の鳳凰堂をこのほど、見てきました。

もちろん鳳凰堂の内部、定朝作の本尊阿弥陀如来像(国宝)も拝観しましたが、
このブログでは、咲きかけの桜とともに鳳凰堂をご覧ください。


こちらは咲きかけの桜と修復後の鳳凰堂


こちらは満開ちかい桜と鳳凰堂


宇治川の桜と渡し船


咲き乱れる桜を見て、心がすっかり、なごみました。

いよいよ私も新学期、梅花女子大学子ども学科で
グリム童話と昔話の授業、再開です。


では、みなさま、来週末まで、お元気で!


入鹿の首塚は高見山にもある!?明日香村を歩く。その4

2010年06月19日 | 旅行
明日香村を歩いてからちょうど1週間が経ちました。
あれから気になっていたことがあります。

飛鳥寺で飛鳥大仏を見たあとで、
お寺の西に少し歩いたところに
甘樫丘を背景に入鹿の首塚がぽつんと立っていました。



蘇我入鹿が飛鳥板蓋宮で討たれたとき、
入鹿の首が飛んで、中臣鎌足を追いかけまわしたのです。
そして板蓋宮の北方600mのところに首が落ちてきてました。
その入鹿の怨念を封じ込めるため、その首を供養したのが
この五輪塔だそうです。

ところで、今から25年前、比較民話研究会の方々と
東吉野の民話調査をしたとき、
入鹿の首塚の話を既に聞いていたのです。
入鹿の怨念は強く、その首はなんと高見山まで飛んできていたのです!?

その時聞いた話を紹介しよう!


高見山の入鹿の首塚

昔、大昔の話やけども、藤原鎌足と蘇我入鹿の話でございますが、
蘇我入鹿が横暴を極めたということで、藤原鎌足が怒って、
そのう、蘇我入鹿の横暴を鎮めるために、
色々と意見を申し上げたりしてましたが、
いっこうに、横暴な行いが直らんと、いうことでありましたから、
藤原鎌足は思いあまって、蘇我入鹿の諜殺をするという決心を決めて。

そして、蘇我入鹿を誘い出して、蘇我入鹿の首を切ったと、
その首が、血を流しながら、桜井の多.武峰あたりですから、
多武峰からずっと東へ飛んで行ったと、高見山の頂上に、
その、落ちて、そのまんま消えてしまったという話を聞いたことがあります。


高見山にある入鹿の首塚

語り手: 桝本静勇(東吉野村 小栗栖)
原典:竹原威滋 丸山顕徳編『東吉野の民話』(平成4年)



甘樫丘に登り1300年前を偲ぶ!明日香村を歩く。その3

2010年06月16日 | 旅行
先週の土曜日は、飛鳥資料館でキトラ古墳の壁画「四神」を
見てきましたが、その帰りに明日香村を歩き、
そして最後に甘樫丘に登り、1300年前のいにしえを
偲びました。

甘樫丘の上から東を展望しました。



正面には飛鳥寺が見え、その右手には伝板蓋宮跡があります。
その宮跡で中大兄皇子と中臣鎌足は、みごと蘇我入鹿を討ち果たしたのでした。
それをきっかけとして大化改新(645年)が断行されたのでした。

次に甘樫丘の上から西を展望しました。



太陽が西に傾いていました。
正面に畝傍山が見え、その手前に和田池が太陽に光を反射していました。

まさに1300年前の歴史と文化に触れる有意義な1日でした。

キトラ古墳壁画「朱雀」と感動の対面!明日香村を歩く。その1

2010年06月13日 | 旅行
昨日、土曜日にはキトラ古墳壁画の「四神」、特に新たに公開された「朱雀」に会うため、
明日香村に行ってきました。
飛鳥資料館で感激の対面!



もちろん、撮影禁止。上の写真はカタログからとりました。
朱雀は、南の方角を守る神さまです。
長く美しい羽をたなびかせ、今にも地面を蹴って力強く飛び立とうとしています。

盗掘穴が開けられていた南壁に描かれているため、壁ごと絵も破壊されていると
思われていましたが、無事発見され、まさに不死鳥ですね。

朱雀はもともと想像上の鳥ですが、図像的には現実の鳥でいうと、
ヤマドリ(山鳥)系とクジャク(孔雀)系があるそうです。
キトラの朱雀は、見ての通り、尾っぽの羽からみてヤマドリ系です。

さて、そのあと、飛鳥寺の「飛鳥大仏」も拝観してきました。



日本最古の仏像といえます。止利仏師の作です。
飛鳥時代の様式の典型的な仏像です。
推古天皇の14年(606年)から同じ場所に鎮座しておられるとは
おどろきです。1404年の歳月ですものね。

「明日香村を歩く」、この続きは次のブログをお楽しみに!