竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

能「春日龍神」:舞台と映像のコラボがすごい!

2015年03月28日 | 民話
先日NHKの奈良特集 「能 春日龍神 ~幽玄 × デジタル~」を見ました。
伝統的な能の仕舞と、最先端のデジタル技術"モーショングラフィックス"を組み合わせて"幽玄の世界"を映像化する試み。
演目は世阿弥作と伝わる「能 春日龍神」。



どんな物語かというと

------能 春日龍神------------------

入唐渡天の志を抱いた明恵上人が春日神社にいとまごいにやってくると、
宮森に化けた龍神が現れ、上人に入唐渡天の志を思いとどまらせようとする。
その理由として龍神は、仏在世のときなら渡天の御利益もあっただろうが、
仏が入滅したいまでは、この春日山こそが霊鷲山であり、春日野は鹿野苑、
比叡山は天台山、吉野・筑波は五台山をうつしたものだからという。
そして、入唐渡天を思いとどまるならば、自分が仏法の眷属を引き連れて、
釈迦の誕生から入滅までの一代記を見せてやろうと約束する。
結局明恵上人は、春日竜神の言葉に説得されて入唐渡天を思いとどまり、
それへの褒美として、春日竜神が眷属を引き連れて壮大な舞を披露する。

-------------------------


この写真は春日の竜神が壮大の舞を披露する場面である。

それが、舞台とデジタル映像によるコラボでは、すごい!


春日山に雲がたなびき、


やがて竜神が現れる。


見事な竜神だ!


伝統芸能の能舞台では、いくら激しい仕舞を見ても、
竜神の現れる神仏の世界は観客が頭の中で想像するしかない。
しかし、デジタル技術が生み出した幻想的な映像が加わると、
誰もがクリアにその世界を見ることができる。

ちなみに、これは能の現代的な可能性に挑戦した映像作家花房伸行さんと
能楽師武田宗典さんとのコラボでした。
今後も、どんどん、伝統芸能の新しい表現を追求してほしい。
そして、若者を能の世界に誘ってほしい!


ではみなさん、来週末、またブログで再会しましょう!




松岡享子さんが「子どもと本」(岩波新書)で昔話の魔法の力を語る!

2015年03月21日 | 民話
東京子ども図書館の松岡享子さんが岩波新書から「子どもと本」を出された。



先週の日曜の読売新聞の書評で知った。

同新聞の編集委員の尾崎真理子さんの記事をまず読んでみよう!


----よき導き手になる知恵----------------------

かなり本好きの子でも、子供時代に読む本は500~600冊という。
気に入れば繰り返し読むから、<一冊一冊の持つ重みがおとなのそれとは比較にならぬほど大きい>。

だから、心底面白いと思う本に出会ってほしいし、その子の面白さの基準に沿って興味の幅を広げる導き手が、
親であれ、図書館員、教師であれ、誰かそばにいてほしい。
では、それらの人々にはどんな配慮が必要なのだろうか。

著者は1960年代に米国の公共図書館で児童室の取り組みを学び、
大阪市立中央図書館の勤務を経て、東京の自宅6畳間で家庭文庫を開設。
74年、子どもと読書を結ぶあらゆる活動の拠点として「東京子ども図書館」を創立した。
その人の知恵と提言が本書に結晶している。

同館が発行するブックリストは、昨今の世評や売れ行きに惑わされず、50年前に出た本も毅然として採録する。
なぜなら、奥付が示す何十刷という「古さ」ほど確実な、大勢の人に飽きず愛されてきた良書だという証明もないのだから。

もう一つ、信を置くのは「昔話」。その語り聞かせは子供が<思いっきり心を解放できる物語空間>であり、
<一生の読書の入り口>になるという。なぜ、子どもは残酷な結末でも平気なのか。心に多様な昔話を蓄えると、
後々人生の難問に立ち向かう力になるというのは本当か?

リュティや河合隼雄の至言を交えた解説から、長年の疑問も晴れた。

終章は一転、日本の図書館行政への言及となる。1953年に学校図書館法が成立し、施設は整ったものの、
導き手となる司書教諭不在の学校が今も多い。図書館員の身分は総じて不安定だ。
ひいてはそれが、便利な貸本屋としか認識しない利用者を増やし、
地域の図書館の質低迷につながった事情も浮かび上がる。

本書にあるのは理想論だろうか。しかし、この理想を貫いて40年、税金を1円も使わずに、著者は私立図書館を営んできたのだ。

--------------------書評おわり-----------


長年、子どもに本を通じて接してきた松岡さんだからこそ、
文に説得力がある。

特に第3章「昔話の持っている魔法の力」は白眉である。

「昔話は、今でも、子どもがこころの奥深くで求めているものを、
子どもによくわかる形でさし出しています。」
まさに言い得て、至言である。
皆さにも、一読をお薦めします。


今日のブログは、話題の本の紹介でした。
では、また。来週、このサイトでお会いしましょう!

今日、鹿児島で桜の開花宣言が出ました。
もう春ですね! みなさま、お元気で!



追悼:児童文学作家/民話研究者の松谷みよ子先生との出会い

2015年03月14日 | 民話
松谷みよ子先生2月28日、老衰のため東京都内の病院で亡くなられた。89歳だったそうです。
皆さんは、「龍の子太郎」や「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズなどを思い出されるでしょう。
「いないいないばあ」は赤ちゃんが初めてみる絵本として500万部も売れているそうです。

わたしは日本民話の会での活動を通して、講演を何度もお聞きし、感銘を受けてきました。
私が昔話学会で「グリム童話と近代」と題して講演したときは、前の方の席で熱心に聞いてくださったのを
今もよくおぼえています。

『民話の手帳』46号(1991年冬号)では、「夢と民話」というテーマでごいっしょに論文を書かせていただきました。


それが、きっかけになって、後に「味噌買橋」について日欧の民話比較研究に発展させることが出来ました。

松谷先生の「現代民話」についての研究にも大いに啓発されるところ大でした。

ご冥福をお祈りします。


本日もブログは、松谷先生への短い追悼文にて終えます。

ではみなさま、奈良のお水取りも終わり、もうすぐ春です!
来週までお元気で!

東日本大震災から4年目に:奇跡の一本松と吉永小百合さんの朗読詩より

2015年03月07日 | 民話
あと4日で、東日本大震災から4年目を迎えます。

2011年3月11日に発生した地震と大津波が陸前高田を襲い、
死者・行方不明者は2,000人近くにのぼり、
市街地や海沿いの集落は壊滅状態となりました。

約7万本と言われた高田松原もほとんどが流され、
その中で唯一残ったのが樹齢およそ170年といわれる「奇跡の一本松」。

私は昨年6月に陸前高田で「奇跡の一本松」に出会いました。


その時は,町を高台にするための土を運ぶベルトコンベヤーの横にぽつりと立っていました。
(竹原撮影 2014,6.6.)

これを見て、いかに多くの人々が励まされたことでしょう!


昨日、NHKのニュースで
吉永小百合さんが被災地:福島の子どもたちの詩を朗読しているのを聴きました。



人々の心の叫びをわたしも追体験したいので、数編、掲載しましょう!


★あの山を登れば  関根妃奈乃

 あの山を登れば
 あたたかい心が見える
 ただの陽の光が
 ふりそそぐ

 あの山を登れば
 町が見える
 道が見える
 ああ
 あの子の未来は
 どんなだろう
  
 あの山を登れば
 ぬくもりの風が吹いてくる
 虫の音が聴こえてくる


★あなたの手と私の手を 吉田桃子

 さんてんいちいち 
 たった八文字の言葉は私たちからどれくらいのものを
 奪っていったんだろう

 あの日
 空がゆれた
 大地がゆれた
 森がゆれた
 海がゆれた
 風がゆれた
 光がゆれた
 ふくしまがゆれた
 私がゆれた
 
★小さい私  和合亮一

 行っちゃ駄目だ 大きい私が叫ぶ
 まだ 除染も 何も 始まっていない
 小さい私に 説明している


★原発難民   佐藤紫華子

 見えない恐怖! 匂わないもどかしさ!
 聞こえない焦立たしさ!
 私たちは安住の地を求めて
 どこまで いつまでさすらうのだろう


★福島  小原隆史

 今も原発という戦車は 
 放射能という弾をうち
 人々の心をうちぬく
 もがいても もがいても弾は来る
 休むことなくうってくる
 だけど
 僕はくじけない あきらめない みすてない
 福島は負けない 
 ぜったい負けない 


★希望  熊本莉奈

 みんなが不安な時や
 みんながなやんだ時は
 心のとびらを開ければ
 だいじょうぶ きっときっと

 だいじょうぶ
 みんながはげましてくれるから
 みんなが みんな
 希望を持っているから
 みんなが力をあわせれば
 
 みんなが心をあわせれば
 きっと きっとだいじょうぶ
 みんなで楽しい事を
 歌にしよう

 みんなでいっぱい ゆめをみて
 思い出いっぱい 作っちゃお


けなげな子どもたちが当時詠んだ詩に
私たちも寄り添いたいですね。


今日のブログは、東日本大震災を忘れないため
記念ブログといたしました。

また例週末にお会いしましょう! お元気で!