えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・羽子板送り

2019年12月28日 | コラム
 平日の18時を過ぎたとはいえ浅草の街だった。表参道の店はほとんどシャッターを下ろし、伝法院通に軒を連ねる店店は明かりばかりが華やかでとうに店を閉めており、雨上がりの羽子板市に向かう客は疎らだった。雨上がりのアスファルトはまだ湿り気を帯びている。羽子板市の最終日は20時半で店を閉めるので、知人との待ち合わせの空いた時間も惜しく先に下見へ行くことにした。正面から浅草寺の正門が見えるほど人のいない表参道を突っ切る。人出はなく静まっている。先月訪れた新宿の酉の市の賑わいが嘘のように、人形焼き屋を抜けた先にぽつりとようやく羽子板の店が見えた。
 かつては正門の前を埋めるように並んでいた店は左と右へ綺麗に別れ、門から真っすぐに浅草寺の本堂が見える。数年前の並びから間引きをしたような、わびしい店の並びだった。少ない店もすべてが羽子板の店ではなく、染め物の店や前川印伝の屋台や、木工オリジナルの正月飾りといったそれ以外のものが三分の一ほどを占めている。既に店じまいを始めている店もちらほらとあり、法被を着た売り子が呼ぶ相手もなく、閑散とした雨上がりに中年の男女連れが平置きにされた羽子板の店先を覗き込んでいた。
 押し絵羽子板の顔は年々かわり、ほんの5年前ほどは浮世絵や役者絵のような一重に面長の美人のあでやかが、現代の子どもに飛びつくようにと工夫を重ねた結果、十把一絡げに二重の丸い目と丸顔の猫のような顔つきをした少女に変わっていた。興味深そうに見る人はいても、手に取る人はいない。かろうじて歌舞伎の鷺娘や藤娘たちが昔の意匠を残してはいるものの、瞳のかたちは黒目がちな少女に近かった。昔は昔はと内心呟きながら、これもかつては店の背景を飾り人を楽しませていた「今年の有名人」の羽子板もなく、一メートルくらいの「アナと雪の女王」をモチーフにした羽子板が目立つばかりだった。最新作ではない前作の絵柄なのが物悲しい。
 そうして隙間だらけの市をただ歩きながら店先の羽子板の顔を覗いていると、「はいそこのお姉さん」と声をかけられた。「お手を拝借してもいい?」顔を上げると、壮年の法被を着た男が両手を軽く開いてこちらを見ていた。「このお兄さんがね、奥さんに赤ちゃんができたんでね」隣にいた若い男が軽く会釈をする。彼の前には紙で丁寧に包まれた、一抱えほどある大きな羽子板が横たわっていた。「今時えらいよ、奥さんのために羽子板買うなんて」と、店主らしき男はにこっと若い男へ笑いかける。私も店主に倣って手を広げた。
「それではお手を拝借して三本締めで!よーおっ」
 勢いの良い三本締めの拍手は、十二月の浅草の境内にカッキリと響いていった。

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