えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・駅手前通学

2019年12月15日 | コラム
 その親子に注意を向けるきっかけは今年の4月の中頃の朝、子供の泣き声がホームから改札口に続く階段のほうから降ってきたので反射的に顔を上げてしまっただけのことだ。紺色の帽子とジャンパースカートに白いシャツを着た、まだ幼稚園を出て数週間後くらいの小さな女の子が、起き抜けそのままのよれた青いTシャツとスウェットにつっかけサンダルの男へすがりつくように泣きわめいていた。浅黒い男の顔から眼だけがライチのように白く剥きだしていた。

 私立の小学校に通う子供の電車通学はよく見かけるが、通い始めのほとんどは背広を着た父親やスーツの母親に手を引かれ、5月の連休を過ぎるころには友達と待ち合わせたり平然と一人で電車に乗れるようになる。けれどもかの少女は4月に女性専用車両へ置き去りにされて以降、5月には大人が詰まったドアへ突き飛ばされ、6月には同じ学校らしき年上の女の子へ無理やり身柄を預けられ、と、常に涙を伴う騒ぎを父親と共に月に一度演じていた。

 駅へ苦情まがいの注意を入れても、7月にはホームに置き去りにされて泣いている少女を駅員が保護して駅から連絡を受けた学校の教師が迎えに来た、というエスカレートした事案を教えられただけだった。夏休みを挟んで9月、少し背が伸びた少女は変わらぬ大泣きの末にまた父親から突き飛ばされて電車に押し込まれていた。発車準備をしつつそちらを注意する駅員の緊張が痛々しかった。

 ひいき目に見てもこれからの出社先はパチンコ屋の開店行列のような父親に関わるのも怖いが、このまま延々と毎月の愁嘆場を覚悟するのも憂鬱だった。10月に開催された一幕を見届けたその日に私はとうとう児童相談所の電話番号を調べ、巧みに私の氏名を聞き出そうとするきびきびした女性の担当者へ「駅がすべてを知っている」と匿名を貫いてはじめてのつうほうを完遂した。

 電話をしてからひと月、その親子が朝の駅のホームへ現れることはなくなった。

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