えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

そう、京都行ってきた①

2009年11月03日 | 雑記
もうそろそろ、行った回数を忘れかけている京都行きです。今回で7、8回目に
なるかと思います。
たまたま出会った同期の友人に、大学時代しょっちゅう市内へ遊びに行っていた
頼もしい人がいたので、その人の肝いりで今回は「メジャー+マイナー」どころの
二つおいしい旅となりました。

一日目に嵐山、二日目に大原の三千院+@。
写真は常寂光寺の多宝塔です。

嵐山にゆくのは久々で、2、3年は渡月橋を拝んでいませんでした。
久々に降りたJR嵯峨嵐山駅は随分とりっぱになっていて、トロッコ列車の駅前にも
民芸キオスクのような店が出来ていたり、焼き栗を売っていたりとちょっぴり
華やぎが増していました。てくてく歩いて、昔「お昼寝用まくら」を買った布団屋
を見送りながら、世界遺産に指定されている天龍寺に向います。天井の龍を見るためです。
しかし、今年のガイドブックによれば30日の今日、天竜寺の本堂が拝観できない
ことになっており、見れないんじゃないか、と心配しながら向うと午後からは
拝観できる模様。代わりに弘源寺の本堂と毘沙門堂を見て一旦は撤退。

弘源寺は、天竜寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。禅宗の寺院において、開山時や
住職がなくなったときなど、偉い僧侶の遺徳を讃えて弟子が立てる寺院のこと
だそうです。1429年、室町幕府の管領細川持之公が創建しました。
本堂には竹内栖鳳を初めとした日本画家の多くの作品、蛤御門の変の際に斬りつけられた
柱の後も生々しく残る中、虎嘯(こしょう)の庭の砂の白さが目を惹きます。

本堂を出て右手、細い道を通ると毘沙門堂が、本堂に負けないほど堂々として
建っています。元々は相当に広い寺院だったそうですが、今はこの二つが、ちょっと
狭そうに一つの敷地に肩を並べています。

その扁額です。弘法大師直筆で「多聞天」の三文字。多聞天は毘沙門天の別名です。
弘法大師の筆は、走り書きレベルでも相当にぞくぞくするたくましさを持つ筆致
なのですが、さすがに神様の名前を彫り上げる扁額には、すこし重々しい筆致で、
それでもさわやかな字体がどっしりと構えていました。
ご本尊の毘沙門天、こちらはインド→中国→日本と三国を跨ってやってきた仏像で、
インドの仏師が彫ったものだそうですが、今のけばけばしい顔つきとはうらはらに
思ったよりも穏やかな(いかめしいのですが)顔立ちでした。挙げた両手の袖が
両方とも上を向いているのが印象的でした。遠目から見ても、一つの作品として
すばらしいものであることはわかりますが、やっぱりお寺にあるほうが落ち着きが
あるような気がします。

弘源寺を出た後は、天竜寺を拝観するための時間つぶしに食事をして、それから
渡月橋でわいのわいのと写真大会。天龍寺の龍を無事に見ることが出来ました。
紅葉に染まり始めの庭を過ぎて、竹林に向います。

常寂光寺はほんのりと染まりつつありました。
萱葺きの仁王門の手前、先が真っ赤に染まったもみじの、赤と黄色と緑の
グラデーションに目も手も、歩き詰めた足も止まります。
見上げるとちょうど昼時を過ぎた太陽がもみじを透かして赤い光が抜けて砂利道に
落ちていました。

桃山時代からの由緒あるお寺だそうですが、細かいことは抜きにしてもさっぱりした
いいお寺です。急な階段を登った本堂の奥に、多宝塔がそびえていました。隣には
階段。また階段。半分山道と同化しかけている、土の感触ばりばりな、足のふんばりが
必要な階段です。
その眺望が、この写真です。染まりきった後も見たいものですが、日の強い光で
照らされた色具合がちょうどよくて、風も涼しく気持ちの良い頂上でした。
京都市内を、嵯峨嵐山を一望できる絶景を掴んで下山。お寺は空気が気持ちよいです。

野宮神社や錦市場など、あちこちをめぐってホテルに着いたときは足がすっかり
張っていました。
筋肉痛を怖れながら次の日に備えて休みます。

またしばらく続きます。久々の長い文章でした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 脱走帰還 | トップ | そう、京都行ってきた② »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑記」カテゴリの最新記事