えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:「不忘の記 父河井寛次郎と縁の人々」 読了

2009年11月11日 | コラム
:憶える人

「不忘の記 父河井寛次郎と縁の人々」 河井須也子著 2009年5月 青幻社

 白壁が日を照り返す秋晴れの一日、日本民藝館を訪れた。日本家屋の狭苦しさも、外国風の重苦しさもほどよく木と目の粗い壁紙が馴染ませた家だ。飾られているものも、元は誰かの家で使われていたためか、飾るだけの新館とはどうもうまが合わないらしく、こちらで飾られると見る人を身構えさせない素のままを見せてくれる。

 河井寛次郎という陶工は「素」をこのんだと河井須也子は言う。

 大正十三年生まれの河井須也子は今年で85歳、陶工河井寛次郎の一人娘だ。京都五条坂の河井寛次郎記念館の館長であり、寛次郎作品の鑑定責任者でもある。本書は亡き父寛次郎と妻、陶芸仲間の浜田庄司やバーナード・リーチ、そして柳宗悦のことを、幼い彼女が見たそのままに書き起こした文章を収録した本だ。河井家がどれだけ寛次郎という陶工を中心に廻っていたのか、どれだけの人が彼の周りに集まっていたかが娘のひとことひとことで浮き彫りにされてゆく。父に対する批評はいっさいなく、筆致はすべてへの尊敬にあふれている。

 それが惜しいのだ。この人の知っている河井寛次郎という人の一挙一動はとんでもなく多くて、それを知りたくて人はこの本を読む。だが、読めば読むほどに、はしばしに現れる河井須也子というひとそのものが気になって気になって仕方なくなってしまう。それが惜しい。『家にいて、突然母に、「ちょっとちょっと、今すぐこっちへ来よし!」と呼ばれて、何事かと飛んで行くと、「ちょっと見てみよし。この夕焼けの見事なこと!今見なあかんわ。今しかないえ。」という始末。』彼女の娘があとがきに書いている。紅葩という俳号を持つ作者は、陶工の父からも琴の上手の母からも周りの人からも並々ならぬ空気を受けている。けどそれを自身で堂々と書くには、この人はあまりに謙虚でやさしい普通の人だ。娘さんの言葉を待つしかないのだろうか。

 まだ生きているのに、と可笑しくも、それはとてもひどく惜しまれることだと思う。

(802字)

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