えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

おくれながら

2009年07月27日 | 雑記
炎天下の古本市を帽子無しで歩き詰め、結果はバタンキュー、
やたらと「チェン・ウェンの三国志」(ゲームアーツ)
(「グランディア」シリーズ作ったとこです)をやれと勧めてくる
弟に、むしょうにニマニマしてしまう週末でした。

このゲームは学校でなかなか話題に出来にくかろうなあと姉心に
思うのです。


さて古本市の収穫は、暑さもあってレーダーが働かず、あまりいい収穫
とはいえませんでした。
エドワード・リアの「ナンセンスの絵本」が3冊セットで売っていたのは
迷いましたけど。買いませんでした。うーん。2000円だったら買い時
だったかもです。

代わりに古雑誌を一冊。「少年/少女SF漫画競作大全集②」(昭和54年)
漫画スーパーギャンブルの7月増刊号です。
ちゅーとはんぱな買い方です。でもしょうがなかった。


諸星大二郎が描いていたので。


短編「海の中」、しかもカラーページ付き。
松本零士と竹宮恵子の対談とかはどーでもよい。
他の作家と比べても明らかに異質な、水の中でぼーっと浮かぶ
青年の絵がちいさくど真ん中にある、それだけの絵です。
前のページと後のページを見た後だと「あれ印刷ミス?」と
思えるくらい余白が残っています。

そしてとどめにタイトルページの紹介が「ノスタルジックメルヘン」。

昭和、すげえ。

「海の中」だし「ノスタルジック」。女の子と男の子がしずかに出会って、
やさしく手を握り合って水中を漂ってゆく。「メルヘン」かもしれない。
でも二人は水死体だ。流れ流れて出会ったのは死んだ後だった。
こういう風に字にしてみると「メルヘン」もうなずけるかも知れない。

が、初めて読んだ時、メルヘンとは思わなかった。
なんか調子が違うなー、と思って読んでいたのだが、
そうかメルヘンだったのか、とちょっと納得させられた。

これと似たようなわからなさに、同じ本の杉本容子の
「まぐろフレークの缶けり」とゆうものがある。
気がつくと女の子は缶を蹴っている。突然、話に「報告」という
かたちで女の子のモノローグが挟まる。
ウェーブがかった髪に、チェックのワイシャツ、ジーンズと、
つま先のあいたヒールで缶けり。
誰も背景に人が登場しない町で缶を蹴る。
見えなくなるほど高く蹴り飛ばして、機嫌よく駅の階段を
二段とびで駆け上がる。

「こんな日はなんでもできそう
 階段だって二段とびでいっきにかけあがれるし
 空だってとべそうよ
 
 ほらね!」

無理やり笑った時のような寂しい笑顔のアップの後、
電車が正面から彼女に迫る。
ぶつかったのか、と思って次のページをめくると、
何事もなく、彼女はホームへ突っ立っている。
下手なのかどうかは分からないが、看板も床も一律に白くて、
「ホームの端の黄色い線」すら距離感の無い平行線の連なりで、
女の子はどこに立っているのか分からない。
そしてやっぱり人がいない。
最後のページも、猫がまぐろフレークの缶詰を舐めている、
それだけで終わる。

これで「センチメンタルジャーニー」だそうです。
ヨクワカランです。
あまりのよくわからなさについ筆をすべらせてしまいました。

諸星大二郎の「海の中」は、まとまりのよい掌編です。
先の「まぐろフレーク~」と比べると、彼の場合は、
描いてるもの自体はよくわからなかったりするのですが、
漫画として絵と話、セリフがまとまった一群としてみた時に、
そこで一つの話がキッチリ出来ている、完成度の高さがあると思います。
杓子定規って分けでもないのがまたおそろしいのですが。

また漫画の話になってしまいました。


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