えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

壮大な同人ワークス

2008年09月08日 | 映画
『落下の王国』:監督 ターセム 2006年/118分

・監督ターセムは、2000年に「ザ・セル」で話題をさらった
インド出身の人間で、GOOGLY FILMの経営者でもある。
そんな彼が私財を投じてつくったのが「落下の王国」だ。
互いに落下の結果の怪我で、同じ病院に入った少女と青年。
少女の気を惹いていうことを聞かせるために青年の語る物語世界と、
現実を行き来しながら映画は進んでゆく。

とにかく彼のやりたいこと全開な映画である。けれど、ひとりよがりな
快楽でありながら、彼の平面図―スクリーンを一枚のキャンパスと
みなした場合―への美意識に翻弄されてそういうことは見えなくなる。

たとえば途中、物語の6人の戦士達があっちこっちを旅するカットでは、
諸々の世界の名所が、たった数秒の感覚でつぎつぎ切り替わるのだが、
その一瞬でも万里の長城は、城を境に完璧な空と大地が二つに
分かれていて画として完成されているし、
現実の世界である病院で、主人公アレクサンドリアが夜、一人で廊下に立つ
場面も、明かりをやわらかくして影が必要以上に、夜の暗さ以上に
濃くならないように加減している。そうした画のひとつひとつに、
石岡瑛子のわかりやすい服がぴったりとはまるのがすごい。

ただ、アレクサンドリア役のカティンカと青年リー・ペイスのやりとりは、
もう少しシーンがあっても良かったかもしれない。
カティンカは美少女ではないが、声が反則気味にかわいくて、
「お話して」から「殺さないで」まで全部、コロコロした鈴みたい声をしている。
加えてブルーの瞳はまっすぐな光を宿していて、このコが演技をしていない
分余計に惹き付けられるのだ。後半になればなるほど可愛くなる。
でも二人の心理とか絡みをしっかり書いてしまうと、それはその時点で
また別の物語になってしまうからしかたないのだろう。

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