えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・乾いた泥道

2022年01月22日 | コラム
 朝、部屋に溜まった冷気の中を爪先立ちでそそくさと泳ぎ雨戸を上げると庭の土から透明な結晶がいくつも顔を覗かせていた。長靴を履いて庭に降りると霜柱が足の裏で割れていく懐かしい感触がする。これも昔は土の水気が多かったか、寒さが厳しかったのか、倍ほどの高さがあったように思う。或いは乾燥がそれだけ厳しいのかもしれない。ともあれ庭には霜柱が立つ。陽の光が当たれば溶けて泥になり、正午を回る頃には乾ききっている。
 霜柱は公園の中央に立つ欅の巨木の根にも沿って立つ。植え込みに沿って桜やスダジイが枝を伸ばしているこの公園は、人が踏み固めて遊んでいる土の方へも貪欲に根を伸ばしているようで、出かけるとまだ黒い泥濘が残っていた。既に誰かが歩いてスニーカーの底の凹凸が水溜りのように散らばっている。うっかり足を踏み入れてしまった。左足が地面を掴みきれずに前へ滑りかけるのをこらえて引き抜くと爪先から泥にまみれている。土の感触と一言で表しても千差万別で、乾きの遅い中央の泥濘から砂場に移ると土の中にあるコンクリートの砂の入れ物にぶつかるのか、周りはすっかり乾いていて硬かった。それでもアスファルトやコンクリートのような反発はなく、足の裏からほどける荷重が地面に吸い込まれていくような感覚が柔らかい。靴は泥まみれになった。
 ゆっくりと歩いているうちに黒い泥は乾いて灰色がかった茶色になり、それとともにあちこちで欠片が落ちていったのか、用を済ませて家に帰る頃には靴の縁だけに土が残っていた。時計は正午の手前で、今日もまた誰もいない道の上に雲のない青空が広がっている。明日も骨がきしむほど寒いだろう。冬は空が青ければ青いほど次の朝が厳しくなり、土の中に溜まった水分は凍りついて溶ける間に奪われていく。土の中で張り巡らせた根が水を抱えてあちこちで春を待つ中、日当たりのいい公団の真ん中に植えられた紅梅が五分咲になっていた。

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