えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・『追憶の東京――異国の時を旅する』 雑感

2020年12月05日 | コラム
 アメリカ人の著者、アンナ・シャーマンからの東京への恋文がこの一冊らしい。70ページ近い原注には英語の研究書の引用の訳も多く含まれ骨太だ。東浩紀と華厳経が並列するアンナ・シャーマンの視点の根元はどこか振幅が極端な気もする。日本「おたく」と呼ぶには距離が遠く、研究者と呼ぶには抒情的で、随想とまとめるには何かが欠けているとページをめくるごとに首を傾げながら読み進めていった。

 吉村弘『大江戸 時の鐘 音歩記』に影響を受けた著者はかつて東京中の時間を知らせていた「時の鐘」の存在に惹かれ、音で時間を定めていた寺を拠点に東京を巡り歩く。原題『The Bells Of Old Tokyo』の通り、著者の視点は時の鐘がその役目を果たしていた江戸時代に重きを置いている。特に人の都合と季節の廻りで変化する鐘から歯車の西洋時計に切り替えられる幕末のその時、廃仏毀釈が進み鐘も寺も無くなるその時への思いは多少感情が混じり熱っぽい。

 並行して各章の終わりには著者が日本滞在中に行きつけにした大坊珈琲店という店のロゴと、店の中で交わされる禅問答のようなやり取りが記される。直接章の内容と関わるものはごく少ないが、この小さな章を通して著者の思考は緩やかにまとめられてゆく。東日本大震災後に岩手出身の店主から投げかけられた「……逃げたの?」の一言に「逃げました」と返す瞬間の緊迫と、その後に店主が普段通り彼女へ珈琲を注ぐ穏やかな切り替えの落差は、おそらくそのままこれを読む日本人との距離にも等しいと思う。

 取材のためにインタビューした相手は多種多様で、有名な寺院の貫主はおろか徳川家の現当主、芸術家と錚々たる面子が並ぶ。無論そこには本の目的である「時の鐘」にまつわる以外のことも多く交わされているものの、本文には残念ながら反映が薄い。たとえば光格子時計の研究者の香取教授に「あなたはノスタルジックな人ですか?」と、脈絡なく自分の頭の中に収められているルールからの質問を投げかけ、ちょっとした困惑を投げかけたり、といった、外国人だからこそ「お客様」で許されている俗に言えば「失敬な」問いも多い。「丸の内」の章などは戦後直後の皇室批判が目的なのかもわからないほど、半ば強引に元号の変化を時を決める「過去の」手段と紐づけ、ひたすら皇室のことばかりを書いている。北砂では第二次世界大戦で焼却された東京の被災者に話を聞きながら、「どこか安全な場所は見つけられたのですか」と尋ねる無神経さはいただけない。

 本質は日本おたく向けに話題を拾い小奇麗にまとめられた街歩きの地図であり、少なくとも日本好きの本ではないのではないだろう。そう感じてしまうこちらに日本文化の素養がないと言われてしまえばそれまでの話だが。恋文にしても、もう少しお義理な好意は示していただきたい次第。

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