えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・梅雨の終わりに

2021年07月17日 | コラム
 雨が続いた。ビニール傘を電車へ置き去りにしないように気を遣いながらの外出は気の緩む暇もないほど一歩一歩が濡れている。雨が降っていた。しとしとという擬音もなく雲が千切れて落ちるような大雨は土を穿ち隙あらば雨道を作って側溝に土を詰まらせる。一度土が流れるととめどなく何もかも押し流す。家の庭と公園には雨の流れる道が決まっており、晴れた日には轍のような跡が高台から道路にかけて続いているのがわかる。雨に打たれる植物は猫背のように体を曲げているが、雨が止んで雨粒が自然にそのカーブから流れ落ちるとまた元の通り真っ直ぐに立つことが出来る。そうした眺めを日替わりで見ていた。
 雨が続いても冷えるどころか蒸し暑い霧に覆われたように息苦しい。冷房を欠かさずに閉め切った薄暗い部屋の中でディスプレイの光に目を細め、丸まった背中を伸ばしては天井に向かって溜息を吐き出していると、窓も何もかも開いて上から落ちてくる雨音で大地に釘付けにされてしまいたくなるような思いに駆られる。濡れても人間はあまり簡単には崩折れない。体が冷えても屋根の下の乾いた部屋に入りさえすれば温まる。その体熱が煩わしい。暑い時期が苦手なのはどこに対しても煩わしさを感じずに過ごすことが難しいためだ。『八月の炎暑』の水木しげる版で暑熱の真下、真っ盛りの太陽の明るい光の中で、語り部の名前を墓石へ一心不乱に刻んでいる男に訪れる熱よりも陰湿に梅雨の暑さは体を蝕む。
 外から光が差し込み雨が止んだ。窓を開けて空気を入れ替えていると、公園の欅の木から凱旋ラッパのようなアブラゼミの嗄声が湿気を取り払うようにからからと部屋を通り過ぎてゆく。

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