沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩632 日米政府と沖縄の在り様 24

2018年05月11日 08時43分52秒 | 政治論

 沖縄本島北部「やんばる」地方は今、半ば夏といった風情で経過している。夏日だが暑熱は未だない。最高気温27、8℃が相場だ。少雨傾向が続き、水源ダムは52%程度、昨年よりましとは言え梅雨時の集中豪雨さえ望まれないことはなく、近年素通りに近い台風も、この時季来てもらえればありがたいような感じである(勿論風を、ではなく雨を、だ)。但し、直撃を受けやすい先島等の農作物被害はかなりのものがあり、集中豪雨に拠る土砂崩れや河川の溢水も本島中南部、北部などでは頻発する。

 「政治は技術」と小林秀雄が言っていたが、この政権においては最早よくわからなくなった。多分それは当たっているのだろう。この安倍一派自公改憲派のやろうとしていることを単純明快に表現すれば、財政はトリクルダウン(但し肝心の社会保障費は国防費拡充に比して減衰する気味がある.....ここに矛盾がある、しかも実際はトリクルダウンは成功してない、国民は富裕層以外は誰も潤ってない)、政権の一丁目一番地は、米国の戦争に参戦!するための現憲法9条無効化という(政治技術?による)改憲と、集団的自衛権行使容認含みの安保法制整備、武器輸出解禁、国民実態総覧のためのマイナンバー制とテロ対策法が目指すのは徴兵制復活と国民監視体制構築、といった国家主義実践行程、要は、自民改憲草案通り、民主制の廃滅(この政権程、あからさまで恥知らずな民主性破壊の言動の際立つ政治集団はかつてない)と滅私奉公的国家優先思潮の浸透、天皇中心の臣民育成(道徳)教育システムなど、これ等を総合すると、ある意味戦後未曾有の壮大な国家改造論ともいえる。

 但し、見たところ、これは改造ではなく復活復古であり、「元来た道」に逆戻りする反動政治ということになる。従って、彼らは再軍備を目途とする、「普通の国」でありたいという、乃至、普通の(戦争ができる)国に戻りたい、という願望に沿って、その障碍である「戦後レジーム」からの脱出を試みようとしているわけだ。

 で、そこに通底するのは、過去の(近代化の結果としての敗戦という)蹉跌の歴史を齎した侵略戦争を「なかったことにする(自衛のための戦争でアジア解放の聖戦と位置付けること)」か、「あってもたいしたことはないもの」(従軍慰安婦、南京事件)とし(罪責感の矮小化、軽減策)、又、史実(彼等の言う東京裁判史観)を改竄、捻じ曲げ、修正しようとしている、言って見れば、人類不変の明らかな常識とされているところを、すさまじいほどの暴力的「非常識」が凌駕しようという在り様だ。これは倫理性の問題以前の「普通の」人間性に関わる問題(ナチスの再来に近い在り様だ)だが、彼等の思惑にあるかどうか知らぬと言え、それは同時に当の政治家の「信頼性」、「信用度」の評価対象そのものでもある(つまり正確には、安倍一派は意図的に国民をシカトして、何事も独裁的に強引に事を終わらせようとしているのであり、国民がどう思うかは支持率の問題でしかないし、選挙に勝てば後はどうにでもなると多寡をくくっているのだ)。

 何故安倍は放逐されるべき政治家か、彼には政治技術や統治能力はないのだろうか。みたところアベノミクスも暗礁に乗り上げ、対北外交も世界から浮き上がり、辺野古の海は荒らされ環境破壊され、結果、誰も本当のところこいつのやったことにはなんのメリットも感得できないという有様であろう。つまり、野党に政権担当能力がないという国民の不思議な固定イメージから生じた選挙意識から自民党が生き残り、かつその領袖たる安倍一派が便乗支持率を得て印象的に「大過なく」経過しているのが現状だ。政治技術や能力がないのにふんぞり返っているから癪に障るのだ。国民は自ら政治を作っていかねばならない。にも拘らず、「他に適当な政党がないから」という明らかな怠惰な政治意識からおのれらの首を絞めるような選択を繰り返している。これを政治の堕落と言う。国民が悪い。こういう安倍一派を野放しにしている国民が悪い。(つづく)

 



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