小川和久軍事アナリストの、JC沖縄主催フォーラムにおける発言(琉球新報政治記事11月24日)は、本土の状況分析家が有する限界を露呈し、いかにも現実的解決方法である「かのように」囲い込む実に浅はかな提言であろう。島尻参院議員が出席しているこの種の選挙対策は、沖縄にとって全く迷惑な催事であり、本土から流入する何者かに汚染された思潮には、断然忌避の念しか出てこない。
そもそも普天間返還の純粋な意味の立志は、「普天間の危険性」を無条件に除去することにしかレーゾンデートルはない。沖縄の立ち位置はそこにしかなく、政治的戦略以外にはあらゆる「容認」傾斜の手法は、なし崩しに国家権力の横行を助長するばかりだ。
彼は、この問題の本質が「国家対人民」という対立軸に在することを見抜けないでいる。そして戦後日本の「民主主義」が、沖縄において必ず「密約」という対米賄賂を通して、一定の政策実現をした「かのように」見せかけるまがいものの歴史だ、という事実を見逃している。
沖縄ではすでにこの400年の対日関係においてこうした経験をいやというほど味あわされてきたのだ。普天間返還の合意があった時点でアメリカが要求した「移設」というふざけたタカリ実態の、いけずうずうしい表明は断じて許しがたい行為なのであり、これをまことしやかに、さながら、論ずるに足るような問題として許容する、戦後日本の根本的腐敗実質こそは、この国のあらゆる知性と良識と情報量と見識を結集し、真剣に知恵と叡智をもって打破すべき汚物である。
「沖縄問題」などない。「日本問題」しかありえない。日本の戦後精神の堕落を沖縄を通して解明し追究し分析し、ここに「沖縄と日本」問題という問題が析出され「文学」が目覚める。(中断)