(社説)9条俳句裁判 公共の場の表現を守る
https://www.asahi.com/articles/DA3S13502329.html?ref=editorial_backnumber
梅雨空に「九条守れ」の女性デモ
こうした上(行政機関)乃至公機関からの規制(多分に例の「忖度」が垣間見える)は、必ず市民・民衆・大衆の権利としての「自由な」意気を削ぐ働きをする。それはつまりこうした国民の「自由」を、何気に限定しようとする上(公)からの「政治的意思」として捉えられる。その意思はどこから来たのか、当然、現行政治権力勢力の醸し出した「空気感」から来た。何故ならこの安倍晋三一派の改憲的「政治意思」がじわじわ流布しなければ、こういうことはさまで露骨に行われることがなかったのだから。しかも9条に関してはまさに政権がこれを玩弄している現実を誰でも知っており、上記俳句の謂わんとしているのは、こうした国会議員に拠る故なき憲法玩弄違法行為に対する危機感にほかならず、立派な社会批判という理念性を持っているのである。最早アベイズムへの忖度は、公機関従事者のまことに情けない組織化された愚かしさとしてしか見られない。