中野五郎著「君は第二次大戦を知っているか(教科書では学べない戦争の素顔)」 光人社
中野五郎(1906年7月11日~1972年10月14日) 日本の新聞記者、軍事評論家、とある。
筆者は戦後・戦無派で、学校教科書(高校現代史においてはきのこ雲の写真以外印象がない)はともかく、メディアや書籍、口伝により先の大戦につき少しばかり見聞きしているというにすぎず、「知っているか」と問われたとき俄かに「知っている」とは到底言えない。
「知っているか」とは「あの戦争の真相(本当の姿)を知っているか」ということで、ネトウヨ系の、あるいはネオ国家主義者の歴史修正主義とか嘘、ガセ、デマ、捻じ曲げ、改竄などには何の意味もない。当然ながら、開戦に至る過程(事実関係)の開明と同時に、何故日本国は大東亜戦争(15年戦争)への道を歩むことになったのか、何故(平和主義者のはずの)天皇隣席御前会議の場で高官たちは太平洋開戦(対米英戦争)に踏み切ってしまったかと問うている。
現今安倍政権下、俄かに(稟議を尽くさず強権的に)法制化し始めた「戦争への道」画策を見越したかのように、あの大戦とこれを巡る近代日本の在り様全体を真剣に問い直す必要性としてこれは提起される。著書の時代背景に、戦後直ぐ米国主導で誕生した民主日本が、冷戦下西側陣営に加担して米国仕込みの「逆コース」(自衛隊、日米安保体制)を執り、憲法9条に抵触する方向へ、つまりは元来た道へ逆戻りする気配に満ちてきたことがある(保守本流と言われる自民系の在り様は、憲法は飽くまで守り、現実的な政治的要請を解釈的に辻褄合わせするものだ)。
我々はこの国を15年戦争に引きずることとなった大東亜共栄圏という価値観に基づく、欧米列強支配からのアジア解放という歴史的課題のことを凝視する。
大戦戦勝国である連合国、欧米諸国が、完全なならず者の犯罪集団であったナチスドイツを断罪した手法について、そのまま同じ枢軸国(持たざる国)の日本帝国に対して、単純にこれを応用できるとは今なら誰も思わないだろう。しかし東京裁判はニュルンベルグ裁判とは確かに別物だが、東京裁判史観と銘打って自虐史観視することとも一線を画さねばならない。
現今沖縄が、米軍基地で沖縄島の枢要部分(島全体の約20%)を占拠され、かつ地位協定により治外法権下におかれ、米兵による凶悪な犯罪で泣き寝入り的処遇に甘んじさせられている理由は、アングロサクソンの征服民族性と無縁ではない。彼らは、沖縄県民が決して彼らを歓迎してもいず、「良き隣人」とも思っていないことがわかりきっているのに何故ここに踏みとどまって、あたら住民の憎悪を掻き立てているのか。
普天間問題につきこれを解決するに最も期待値が高かっただろうバラク・オバマでさえ歴代大統領に倣ってこの沖縄の窮状を打開する何らの手立ても講じなかったし、ケネデイ女史もまたありきたりな軍事大使(沖縄にとっての)に終始した。アメリカの良識は、為政者どもにおいてはアングロサクソンの残虐な人民淘汰の民族性の前でなんらの効力も持たないことは既にはっきりしている。つまり、アメリカにとっては何事につけ絶対的な米国オンリーであり、その優先性は他国の人民などあってないものとさえなっている(沖縄ではこの米国の国内・国外二重基準実態が顕著だ)。沖縄がいかに泣き喚いても彼らは冷酷にこれを無視できるだけの野蛮な民族的性格を保持し続けるのだ。これに対する日本政府の在り様は沖縄に関しては完全な米国傀儡国家、なすすべを知らず統治機能を有しない半端な非独立国家でしかない。
日本帝国は何故あの15年戦争を続けたか、泥沼化した日中戦争を打開できなかったか。剰え明らかに国力の差が歴然としていた米英に敢えて挑もうとしたのか。この問いに明確に答えるものに出会ったことがない(神風信仰、常勝国家意識など愚にもつかぬ)。大東亜共栄圏構想が日中戦争を「聖戦」と称し東亜に覇を唱える偉大な戦争と位置づけ、しかも結果として日本帝国を中心とする大東亜統一の八紘一宇思潮に究極するという、遠大にして自分勝手な理想の実現にとってこの戦争は何を措いても勝たねばならないものではある(負けるまでは続ける・一億玉砕・生きて虜囚の辱めを受けず)。太平洋戦争は日本帝国にとっては、アジアの盟主として最初にして最後の欧米との決闘のようなものと見える。
太平洋戦争は、「正義の味方」日本帝国がアジアの率先尖兵として果敢に欧米に闘いを仕掛けた、類まれなドンキホーテ的勇ましさと見える。本当か?ではあの無条件降伏という、世界に向けた屈辱的恥さらしについて、同じアジアに対しどのように申し開きするつもりだったのか。大東亜共栄圏構想の、他から何らの要請もない徒に有名無実な実態、独善的性格が露呈する。
戦後、軍事力保持や国際間の紛争解決手段としての戦争行為を完全否定して出直したはずの日本国が、またぞろ「(アメリカと一緒に)戦争の出来る国」「戦争したい国」になろうなど、アジアの国として(欧米に追随する)三流国家に成り下がったという意味しかない。中国や韓国がそういう動き(あの戦争を美化し正当化する行為)を見せる日本国に対して直ちに憤慨し抗議するのは当然であろう。「あなた方はあの戦争に負けたではないか。無条件で世界に屈服したではないか。力ではかないません、と認めたはずだ。なのにまたその力を手にしようとし、武器をとって何をやらかすやら知れたものじゃない」そう思うのが普通だ。
いずれにしろ大東亜共栄圏構想は画餅にすぎず、あの戦争のはらわたはかつてないほど恐ろしく醜い殺し合いにすぎなかったのであり、東京裁判の訴因の一つ「共同謀議」すら日本の戦争指導者たちには実際はできもしなかった(ヒトラーナチスのように一個の綱領に基づく綿密な戦争計画さえまともにできなかった)のであり、支離滅裂な玉砕的自滅の道(やってみなきゃわからない)をひた走った、というしかない。これがあの戦争の、国としての総括的真相だ。
この国の統治機能は無責任さで際立っている。アジアの盟主たらんとするなら何故自分の国を先ず守ろうとしないのか。自国民を放っておいてほかのアジアを救えるはずがあるわけもない(福岡豪雨災害を等閑視して外遊に遊びほうけた安倍晋三を見よ)。アジアの解放というエポックは実際は欧米の進歩主義に対するアジア的抵抗とその勝利という歴史的必然にほかならず、欧米がアジアの植民地から手を引くことは仮にも民主化の流れにあって当然の結果であった。つまり日本がその戦争で雄々しくも導いた輝かしい成果のはずがない。そのようにのたまうには余りに人民の犠牲が過大にすぎた。そして、旧日本兵がアジアの人たちに加えた蛮行は、目に余り残虐を極めたこととして、人類として到底許容できないのである(人道に対する罪は歴然としている)。(つづく)