沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩407 日本の生き死に 11 暴動

2013年06月13日 09時57分10秒 | 政治論

 1970年12月20日未明、沖縄県コザ市(現沖縄市)で起きた所謂「コザ暴動(騒動とも)」に関して、司法的には決着しているがその歴史的評価に関して、未だに当時の琉球新報社説以上の論説を加えたものに出会わない。

 社説の骨子は、これを「日米政府に対する沖縄県民(復帰前でそのときは県民でなかったが)の衝撃性警告」と位置づけた。

 その暴動を指揮した首魁の存在について論う(特に瀬長亀次郎に対する)検察陣は当時もあったらしいが、当然憶測の域を出ない。結局米軍関係車両だけを襲った偶発テロにしては極めて統制された行動始末に違和感をおぼえた治安当局の勘ぐりに終わったのだが、新報の見方でさえ、むしろ組織テロの可能性を示唆しないこともないニュアンスにあり、当事者に軍労関係者が散見されたこともあって、沖縄人民行動の特徴的な性格としてよりも、曖昧ながら、突出したイデオローグを予感される空気もないことはないのだった。

 しかしながらこれは本土並みの、沖縄に対する「穿っているようで穿ってない」、的を射ない論調一般に共通する愚考に過ぎず、「荒れ果てた人間性」に陥っている本土に対し、豊潤な人間性に満たされた昔ながらの風土に根付く「ユイマール精神」が醸し出す、琉球的行動形式を意味するものと筆者は思ったりしている。現今琉球沖縄で展開する民衆行動を「本土の活動家の扇動」と見る右翼系軍国主義亜流どもの根拠のない論調論難は問題外だが、かつて確実に整然とした民衆の抗議行動が日米政府に対する「警告」として無血的「暴力」を選択した歴史があることを、半可通で不勉強な本土政治家はじめ識者たちははっきりと認知しなければならない。(つづく)



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