沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 琉球新報社説 <社説>新年を迎えて 自己決定権が試される

2018年01月02日 09時14分27秒 | マスコミジャーナリズム

<社説>新年を迎えて 自己決定権が試される

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-639843.html

主席公選で屋良氏が当選すると我々内地の高校生(当時)は大いに歓喜の声を上げたものだった。だが屋良氏が県知事に当選し沖縄返還が成ってもその純粋な喜びは次第に尻つぼみとなっていった。我々は大人になって沖縄を忘却し始めた。学生運動は雲散霧消し、世はバブル景気へ一気になだれこみ、金に塗れて精神は堕落の一途を辿った。沖縄はどうなっていったのだろう。米軍との敵対関係は止むことなく、日本政府は平然とオキナワ特化の基地政策に前のめり、政治的懈怠を隠すこともなく今日に至っている。鳩山は「知れば知る程米軍抑止力」が必要だと言って開き直り代表を降りたが、今彼は辺野古反対の活動をしている。首相在任時時の安保関連官僚の策謀を暴露し「最低でも県外」のアリバイを確保しようとしたが、辺野古に関し未だに力不足である。旧民主党のオキナワ思潮は本土内地ヤマトゥ国民の最大限界を示したのであり、それは沖縄の自己決定権などという字ずらどおりの生易しいものでないことを我々は知っている。辺野古の現場が、否応なく止めようもなく進む埋め立て工事の実態が、それをいやと言うほど思い知らせている。県民が覚醒し、立ちあがらない限り、日本国家政府の誤った安保政策の犠牲になることは予定のコースだ。 



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