沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり (再掲)あるエスペランチストの生涯と死

2019年01月08日 10時52分58秒 | 政治論

 「我が身は炎となりて」 佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代 比嘉康文 2011年新星出版

 比嘉氏が今から51年も前(1967年11月11日)のこの事件を取り上げたことについては、(興味はあっても探求の手を繰り出すことがなかった)筆者には曰く言い難い印象を持たせたのだが、考えてみれば団塊世代近似の筆者の感覚(つまりあの当時10代後半20代前半の人間の感覚)からすると、あの当時我々が否応なく置かれたきわめて特異な時代性に引き戻され、様々な事柄がまさに走馬灯のごとく去来し、次々と符牒する事実関係のその中にあって、この一人のエスペランチストである老人の焼身自殺のことは、他のことに比しそれが一瞬時が止まったかのように冷厳と立っている様に驚かされるということが出来した。

 つまりは、一身を賭して抗議する、諌死ということが、その印象としての古めかしい封建時代的在り様にかかわらず、又、時代が、ときが、ひとの忘却機能が本来ならこれを易々と通り過ぎるべくあったとしても、もう一度意識的に具に振り返ることによって、今あったことのように鮮やかに同時代的によみがえるということだ。死はこのように、いつもひとを、時を止めてその瞬間に引き戻すだけの意味を持たせる。偶々翁長知事の死に際して感じた同じような死に対する感懐を持たされたということ。翁長氏の死は病死だが諌死に近い。あるいは見方を変えれば憤死、というものだろう。

 佐藤首相は安倍晋三の大叔父にあたる。この宰相の当時の在り様は今の安倍晋三によく似ている。「沖縄返還なくして日本の戦後はない」は、大見得切った役者の独壇場に見えるが、安倍晋三と同じで中身は体のいい「裏切り」であった。又、ベトナム戦争を全面的に支持したこの宰相同様、安倍晋三もまた米国大統領に加担する文言を無批判に繰り返す。三島事件も長寿政権の中で起こったが佐藤の感想は「狂気」だった。佐藤も安倍もおのれらが唯一まともで他はそうでないものとして処理されている。「辺野古唯一」はこちらから見れば馬鹿の一つ覚えだが、彼らには既成概念の一つに過ぎない。バカ殿に諌死する忠臣は美談の主だが、由比氏の死は果たして永遠的などんな意味があるのだろうか。死が齎した確固たる常識と良識の定立は、揺動する人心の人事の中で、確実に精神において「正義」となり終わる。我々が受け取るのはこれ以外ではない。「やっぱり君らは間違っている」と、安倍らに言えるのは、そのためだ。

 見よ、さすがの強権政治家安倍晋三一派も翁長氏の死の前に立ち往生しているではないか。辺野古は今どうしようもなくストップしている。(いつまで続くかしれないが)この事実は、諌死の決定的なインパクトを証明している。まさに一粒の麦は落ちて死ななければならないのだ。要はここからどれだけの実を結ぶかだ。翁長知事の死を無駄にしてはならない。由比氏の死は他の死同様、ベトナム戦争の悪を木っ端みじんにし、米帝国主義を粉砕したのである。但し征服民族アングロサクソンの蛮行はその素質のゆえに今でも、残虐な覇権行為を繰り返している。我々の常識と良識の戦いに終わりはない。生きている以上。(続く)



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