沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩395 「人間の国」でない国にいる我々 21

2012年11月08日 16時13分24秒 | 政治論
 バラクオバマがロムニーを降してアメリカ合衆国大統領に再選され、今後4年間も引き続きその絶大な権力を振るうことになった。彼の勝利宣言演説はさして重要ではない。彼は、意外に激戦となった選挙戦に最終むしろ大差で勝利したとは言えそれほど興奮してもいないし美辞麗句で何事かを誇張して語ることもない。だがこの愛国者は同時に、世界史の主導的立場にある自国のありようを、いくつかの断面において、彼の軍隊が果たす役割に仮託して語っているし、そこには明らかにブッシュ親父が始めた利権がらみの「対テロ戦争」を「仕方なく始めた」(大量破壊兵器もないし本来テロとは関連性もない国だ)戦争とみなし、まずは(散々破壊した)イラクから撤退し次に(金ばかりかかって効率の悪い)アフガンにおいて徐々に終わらせ引き上げさせる方向へ導くことで、「理念的な」意味での責務を果たしたと言えると自身に納得させようとしている。これはこれまでこの国があらゆる戦争において絶えず繰り返してきた言い訳と何ら変わらないのであり、そこには各国各民族各人に対し行った殺戮行為に関するいかなる謝罪の言葉もないし、むしろ今後ますますその覇権行為の拡充拡大方針を、西太平洋アジア地区の対中防共シフトへ振り向ける軍事行為に、巨額の国防費をつぎ込み周辺弱小国を戦乱の危機に巻き込みながら、アメリカ合衆国産軍複合体を肥大化深化させていくというわけだ。今や対中国戦略に無我夢中の米軍に「沖縄問題」は無いに等しい。従って沖縄は彼らの軍事行為の妨害遅延抑止活動へこれから益々力を注いでいかねばならない。リンカーンもケネデイもクリントンもカーターもそしてこのオバマも、アングロサクソン征服民族の伝統的精神になんの変更もない。それは明らかに国際司法的な意味の犯罪行為を助長し、あらゆる無差別の殺戮を黙認し肯定する意味で、完全な、他国にとっての「民衆の敵」だ。勿論彼らの「狂った」安全保障行為は個人に例えれば極端な自己愛というもので、個人なら許容する限度がこの場合暴力的殺人的落着を図る国家の、巨大な、横溢し奔流化し呑み込んでしまう防御不能な大洪水である以上、あらゆる手段で自己保存を企てる民衆側に明らかな「理」がある。どんなに誇張してもしきれない大国アメリカの国家犯罪、乃至犯罪性は到底独立した他国の民衆に無条件に許容される謂れはない。にもかかわらず彼らの策動謀略欺瞞篭絡戦術に嵌らずに通過する国も民族もない。それゆえパクスアメリカーナなのであり、恐るべき蟻地獄なのだ。日本の外務防衛官僚は戦後吉田ドクトリンを継承し「漁夫の利」「虎の威」「軽負担経済復興優先主義」の路線をひた走ってきた。しかし戦後も67年になる昨今はとりわけ沖縄において発露する国策の破綻傾向を覆うべくもない。吉田ドクトリンの欠陥は暫定性にある臨時国策を常時国策化した(敗戦総括も戦争批判も実質検証せずに)ことにある。これを「米国追随国家」と非難するのが桟敷席だ。事実上国を挙げての翼賛体制で事に当たらなければ絶対的に敵う相手ではない米国に、この定見もない宙ぶらりん国家が物申すことすらできないのは当然だ。(中断)


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