「フクシマ」と「オキナワ」は本質的に相違する政治環境にあり、一方は、日本の「フクシマ」、なのに他方は単独に「オキナワ」として扱われ、そこに純然たる決定的な、絶望的人権破壊システムを見なければならない。最早これは、「人種差別撤廃委員会」に印象される人種的民族的差別という古典的な問題性を超越した、犯罪性の高い国家レベル外交レベルの事案そのものであり、あらゆる地球人は、「フクシマ」の世界的害毒蔓延とは別に、「オキナワ」にあって公然と断行されつつある普遍的な人権破壊実態を糾弾する、人道的立場へ集結しなければならない。何故なら、エジプト俘囚がユダヤの民の数百年に及ぶ過酷な運命を醸成したのは数1000年も前の話であり、この見かけはようやく人民的解放の理念的コンセンサスを得た現代において、未だに横行する、欺瞞性に満ちた国家犯罪傾向を黙認する怠慢は、絶対に、人間の名において看過し得ない実質的環境になっているのだし、人間の意志と勤勉によって改善可能な事案だからだ。「フクシマ」はすでに人力にあっては、手に負えない状態をいよいよ拡大傾向へ引きずっていくのであり、ある意味、「フクシマ」は日本の手のひらから零れ落ちた絶滅大地とあきらめるしかない。チェルノブイリが海に面しなかった一縷の希望は害毒蔓延を内陸的に封鎖しえたことだろうが(風による拡散は別として)、完全に海辺に位置した「フクシマ」はその影響範囲が今後も全く予測しえない絶対的不幸のなかにあり、恐らくはチェルノブイリ以上のレベルで人類史上最悪な環境破壊力を行使しているものと推察される。海は汚染され続けている。一方辺野古大浦湾の環境破壊基地公害汚染は人間の意志で断ち切ることができる。しかし、この国はアメリカの言うなりにここを日本人の住む普通の海辺から一大新軍事基地に変えようと、全県挙げての反対運動にもかかわらずこれを無視し、他府県と相違した対応で、「地理的優位性」という欺瞞言辞により、国家的人権破壊犯罪事件を引き起こそうと目論んでいる。かかる実態にいやでも日々向き合わねばならない沖縄県民は、言わばアメリカ世界戦略という利己主義を日本刀のように振りかざしてはさも客観的正当性があるかのように懐柔しようという日本政府の、同様な利己主義と日々闘わねばならない。初っ端で辺野古に墜落した民主政権は自民政権よりはるかに始末に負えない保守停滞官僚主導政治に堕し、この政権に何を期待しても暖簾に腕押しだろうが、即時解散すべき実質にありながら政権にへばりついている以上、繰り出される悪徳政治政策のいちいちを具に検証破棄破壊し反対運動に拍車をかけることだ。(中断)
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