沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩632 日米政府と沖縄の在り様 19

2018年03月17日 08時50分13秒 | 政治論

「元自衛官が本気で反対する理由」(安保法反対の20人の声)新日本出版社

 北朝鮮は南北会談で半島の非核化等の韓国との合意事項に即座に応じ、所謂休戦状態にある「朝鮮戦争」に終止符を打つ流れが出来つつある。これを日米の首脳はおのれらの圧力が一定の効果をもたらしたと自賛しているが、我々の見る所、元々同一民族である彼らが離反した理由の多くは冷戦時の大国間イデオロギー対立で、本来的意味の民族離反とは別種のものであり、恐らくはどのように落着するにせよ、望まれざる結論は、またぞろ日本も含めた外国の何らかの「悪影響」以外ありえないと、桟敷では思われているに違いない。当然ながら北朝鮮にとって同朋を蹴散らしてでも奪取する領土的野望など筋ではない。北朝鮮の日本にとっての脅威は必ず対米的にしか発生し得ず、その米国一辺倒の日本が基地を抱え半島に近接する立ち位置にあれば、日本の対北態度が自ら脅威を招く可能性を生むのは目に見えているし、その危険性は遥か彼方の米国の比ではない。

 国政預託者に欠けているのは戦争に対するリアルな想像力だが、これを時の権力者に求めても先ず無理筋であろう。彼等は大概その権力維持のためにこそ、戦争を国家主義的な手段として必ず使いたがる傾向がある。これをかつては「気違いに刃物」と言い慣わした。つまりは時の権力者というのは一種の狂気なしにその境涯を全うできない食わせ物ということだ。国民はこういう運命を持たされている権力機構に対して、まず想定すべきは、彼らは必ず国民の「自由」と「権利」を減衰する施策に手を染めるということだ。「民主性」を標榜する一切の政治家はこれまでも大概暗礁に乗り上げてきた。彼らがぶつかる壁は「国家対国民」という二項背反の壁であり、そこにどうしても政治的優先性を加味することになる(取り分け日米安保に関して)。彼らは間違いなく自家撞着に陥る。これに嫌気がさした現代政治家は国家主義と言う禁断の果実に得も言われぬ美味を見出す。

 国民側に必要なのは、(民主)政治に絶望する政治家に、こちら側こそ絶望する所から始めるということだ。現代の(戦争を知らない世代の)政治家に、国策に関し民主政への真摯な考察や思い入れを期待するほうが間違っている(つまり理念としてのそれを政治哲学的に措定し得ている現実の政治家は、今のところ共産党以外には存在しない)。当然ながら、この安倍一派には時代錯誤の誹りを受け流す、真逆の開き直リがあることをはっきりと見極めておかねばならない。それは大方の理念的アプローチを完全に凌駕する。

 欠けているのは、今、自衛隊に属する自衛官がやがて現実に発砲し、ひとを殺すあるいは殺される事態が生じる、ということへの一般的な国民的認識だ。それは前線だろうが後方支援だろうが戦地近辺ではどこでも同じだと、元自衛官たちは口をそろえて言っている。こうした認識の度合いから現時点で自衛隊に所属する自衛官たちは、徐々にだが安倍政権下の集団的自衛権行使等、安保法適用がかつてない戦時的現実を受け入れることになると踏み、維持されている現在の生活生存への危機感と将来的絶望感に捉えられて、続々と戦列離脱の方向へシフトするだろうと予測され、それは同時に現実問題として生じる人員不足から、国が徴兵制を取らざるを得ない流れになるというわけだ。

 元自衛官は既に南スーダン帰還兵のPTSDさえ目撃している(自殺者も出ているらしい)。これは米国で顕著に問題となっている戦場神経症の多発であり、免れない後遺症として多くの帰還兵を苦しめ続ける。これがやがて、米国の戦争に駆り出される日本の戦闘要員にも確実に起きることと目される。(沖縄戦の戦傷者の多くが戦場神経症患者だった)。(つづく)

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。