沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩352 日本という国  10

2012年04月02日 20時20分33秒 | 政治論
 毎日新聞の記事4月2日付け。普天間第二小学校教室内騒音レベル100dbを超える(高架下電車通過時に匹敵する)、というもの(国の教育的配慮ではこの数値の半分程度だ)。外務防衛官僚どもがこんな記事程度でびくともするものか(防音対策においてさえ基準値を超えているのだが)。ある種の検証では何故全国の基地公害が抜本的に解決されないかというとどうやら公害を政治的に受け止める自治体の分断された意見集合実態に解決不能な本質があるということらしい。つまり地域振興策インフラ整備公共事業のバラマキなどで比較的潤沢になった財界が保守系政治家を押して反基地運動に拡散効果を加えるという状況にあり、現今議会制民主主義にあっては所詮数の論理がまかり通り本来的な実質的問題の先送り傾向を醸すべく所謂米軍基地経済主義なる不健全な政治思潮状態にある、ということだ。これはひとつには、国が日米軍事同盟温存のため地元政治集合を懐柔することに成功している(札びらきって)ということなのだが、一方では金のため盲目的に国策に従っている地方自治という現状が見て取れる。この構図は原発地元自治体のそれに同じい。かかる国の現実は、まさしく「理念なき政治」(ガンジーの7つの社会的大罪)を体現しているわけだが、小出裕章氏が指摘するまでもなくここには「労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なき商業、人間性なき科学、犠牲なき信仰」が詰っており、早晩その罪に対する劫罰が待っているだろう事は容易に予測できるものがある。普天間問題は間違いなく一種の差別的意思に基づいた国家規模の人権侵害事件であり、国の理念的怠慢はもとよりこれに乗じるアメリカ戦争経済主義の完全な国家エゴ、更には「不労所得」をもって労働倫理を喪失した地域経済の不健全性、微小なる経済効果を過大に喧伝する容認派の、体制に阿る地域エゴが、さながら滓のように沖縄県民の心身にへばりついているのである。我々は化学実験を試みているわけではないので、国家的不条理を是正する稀に見る特効薬の開発を待っているわけには行かないしそんなものあろうはずもない。既にこの国の堕落した本性は白日の下に晒されているので「非暴力不服従」闘争により彼らと如何なる点でも対峙する道に立たねばならないのだが、この国の政府は最終的には沖縄を愚弄し利用し捨てようとしている。最後にどこへ売り飛ばすのだろう。まさに人身売買奴隷国家の面目躍如だが、こういう目にあっているのは残念ながら沖縄県ただ一箇所である。そしてこの状況を作り出したのは旧大日本帝国官僚の残党どもでありこの真相を喝破して土性骨から根こそぎ覆してやろうという情熱に駆られたジャーナリズムの、根本的な欠如であり、失敗した近代化の功罪を洗いざらい検証する努力をやめたこの国の戦後民主主義の幼稚さであり、精神年齢の低俗さである。(中断)


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