沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩622 琉球独立戦争の端緒 13 思考停止の危険性 2

2016年08月29日 11時53分52秒 | 政治論

 筆者は不可知論者であり、抽象的議論以外興味はない。従って戦争参謀たちの机上企画には一切知的にも関わらない。机上の企画を旨とする連中は世の中を何らか「知りうべき物」と思っている(実際は知り得ないのに)し、人知が到底追いつかないはずの現実的具体的究極が可能だ(それは全て統計か確率でしかない)と思い込み、遊び(すさび)な冗漫論議に明け暮れるような、無為徒食(あらゆる不労所得者のことを言う)の輩がこれをするのである。

 既に沖縄県国頭郡東村高江では、官憲の暴力的な問答無用の戒厳令もどきが布かれ(21世紀の現代に考えられない暴虐......しかも沖縄に特化している......これは最早国家犯罪以外の何ものでもない)、市民活動はおろか住民の生活さえ不如意をかこつような狼藉があけすけにまかり通っている。彼ら官憲は戒厳令宜しく市民に対する当然の説明責任さえ果たそうとしてない(彼らの頭の中にこれを説明できる理屈などありはしないが)。市民に対する彼らの馬鹿にし切った態度は到底公僕とはいえず、公務員の職業倫理にさえ違背する。これらのことは夙にネット上に証拠として拡散されている事実だ。これを上意下達で取り仕切っているのが安倍晋三政権とその内閣であり、彼らはまさに机上論を実地に行わせる参謀本部幹部乃至大将軍である。(彼らには、前線で死を目の当たりにする自衛隊員に対する、人間としての想像力は皆無である。自衛隊員はよくよくその事実を知って置く必要がある。そしておのれの死が齎す家族の悲嘆をはっきりと考えておくべきだ。職業軍人は敵を殺すことが任務であり、逆に敵に殺されることも当然念頭に置かねばならない。既にこの国は危険水域に足を踏み入れ、平和国家ではなくなっているし当然テロ対象国民と化している)

 安倍晋三の心中にはアメリカ合衆国の意向以外何もない。これに追随するためには手段手法を選ばず、あるいは無法違法行為さえ何食わぬ顔でやってのける厚顔無恥さが際立っている。このような宰相を押し頂いている日本国民は世界中の笑いものであろう。だが彼らは、安倍晋三の大衆向けパフォーマンスや軽薄な「決断し実行する政治」に拍手喝采する。そこには理念的な意味の価値観喪失の実態がふんぞり返っている。この一種のニヒリズムにこの国の絶望感も見えているのだが、大して深い物ではない。大方は権力側の情報操作、印象操作が事実を隠蔽し、あるいは捻じ曲げ、国民の意識形成において誤った現実を見せているのだ。日本国民の精神的な上滑り具合は敗戦国の運命的な性向であり、パクスアメリカーナの世界観の裡に埋没しコップの中の嵐を繰り返して止まない。

 安倍晋三政権とその内閣が現在沖縄に対してしていることは、立件が困難な国家犯罪(何故なら司法自体がこの国側の論理に取り込まれているから)である。しかし決して告発が不可能な事案ではない。現場では連日のように、官憲の、上意下達の威を借りた違法無法行為が頻発している。当然だが工事手法手段にも自然破壊、環境浸潤という人類的な犯罪性が如実に示されている。国民はこの事実を他人事として顧みないが、恐らくこうした事態はやがて自らが被ることなのだ。(つづく)

 

 

 



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