沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩576 琉球沖縄の現実 11

2014年12月30日 18時43分10秒 | 政治論

 琉球沖縄にも本土並みの正月が来る。但しここでは旧正月がメインで2015年は2月19日がそれにあたる。それでも新暦1月1日は間違いなく全国共通の「新玉の年」を意味するのだが、昨年12月27日に元の県知事が埋め立て承認したあと「いい年を迎えられる」と言ったその2014年新年は、恐らくは加速するだろう辺野古新基地建設の具体化に対し県民こぞって不気味な危惧感を抱いたまま迎えたのだった。そして1月名護市長選の稲嶺進氏圧勝、9月名護市議会議員選与党過半数勝利、11月県知事選翁長雄志氏圧勝、12月衆議院総選挙「オール沖縄」完勝、という見事に明白な民意の表白があったのにも関わらず、この安倍政権はなりふりかまわず辺野古埋立工事に邁進すると宣言している。これは明らかに憲法精神に反する、国民の意思を国家が凌駕するという意味になる。日本国憲法第3章第11条と12条の間に主体的にあるのは日本国国民にほかならず、国家という文言は一字たりともないのだ(「公共の福祉」とは何か....一方の利益のために他方が犠牲を強いられることではない)。国民主権に立ち向かえる国家の専権事項などというものは本来存在し得ない。しかもその国家がこれまで繰り返し言い募った軍事的要諦はこの「辺野古移設」事案には本質的に全く存在しない、つまり移設先は日本国土どこでもかまわない、ということが既に判然している。

 彼等本土為政者が普天間問題を「政治的問題」として認識している(この謂いはしかしかつてなく低レベルな傀儡国家実情から出てくる見苦しい言い訳にしか見えない....つまり彼らには本土の日本国民を、基地負担に関し真摯に説得する勇気も誠実さもない)以上、我々には、本土対沖縄で対立している関係性の示談的解消なしには彼らが進める具体的な国家行為を体を張って食い止めるしか手立てがない。明くる1月5日以降開始する、という埋め立てに向けた海底深部調査もまた危険承知で阻止すべき対象に違いはない。又しても国は、官憲の暴力装置を駆使してこうした市民活動を暴力的に弾圧するだろう。これまでも何人かの市民に流血の痛打を加えてきた。安倍強硬路線は、こうした活動や政治的事情に加え、台風による強風高波によって大幅な工期順延を余儀なくされたので、此処に来て、たゆむことのない民意が明白に示された公職選挙結果にかつてない焦燥感を募らせていることだろう。尤も、この安倍晋三という、彼の眷属が戦後史上に権力を誇示したその血筋として有する根拠のない自負心は、殆ど狂気そのものと言って過言ではない。かかる狂人を押し頂いている日本国が迎える2015年の先行きははなはだしく危険な綱渡り的運命を準備しているのだ。(つづく)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。