沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩395 「人間の国」でない国にいる我々 6

2012年10月11日 16時26分12秒 | 政治論
 9.11があって直ちに論評が乱舞した頃、この未曾有の、前代未聞の、恐ろしく「見事な」破壊行動について、「深く」追究した論陣のなかにウイリアム・ブルムというジャーナリストがいたことは記憶に新しい。彼の「アメリカの国家犯罪全書」は益岡賢氏の日本訳で2003年に第一刷をものして作品社から発行された。原本初版は2000年5月であり2001年9.11事件を受け2002年4月に「新版への前書き」を追補して増補改訂版を刊行した。我々の見るところ、とりわけ沖縄在住人という視点で言えるのは、アメリカ合衆国とりわけ米軍が、世界展開して、その、到底「民主的」とはいえない残虐な軍事的方法で介入した中東での種々の行為が、国際司法的犯罪行為に相当する「倫理的な問題性」を多く含有する事実が示す、現今日本における民意に背く軍事展開の、「非民主的実質」や「前近代的植民手法実態」という沖縄からの言挙げがアメリカに関する「世界の真相」からすれば当を得ているということの揺るがぬ根拠というものを、改めて確認することになる。我々に突きつけられているのはほかでもない、こうした言わば殺傷能力の高い「猫」に「鼠」である我々の誰が「鈴」を付けるのか、であるが、このイソップ話は「いざ実行するとなると至難の業であることがある-できない相談」というありのままの答えにしかならず、如何に天敵でも同じ「人間の国」じゃないか、「話せば分かる」といって何一つ解決しない繰り返しが沖縄のとりわけ戦後の食えない経験だった。「話せば分かる」は「民主的方法」のことだ。しかし各市町村議会、市町村長、県議会、知事という、民主的方法で選んだ代議員全てが一致して「反対決議」に集結した、このオスプレイ普天間配備事件において国と米軍は、実体のない「安全宣言」をブチ上げ、守られた試しのない「ルール」に合意し、尊重すべき民意に完全に背を向けた予定通りの配備強行を完遂したのだった。あらゆるテロ行為をすべて正当な主張とは思わないが、少なくともあの9.11事件が「単なる自己顕示テロ」とは到底思えない。そこには中東アジアアフリカで行使するアメリカの覇権的警察行為が齎している「反感」「敵意」「根強い憎悪」による強烈で切実な主張が漲っている。この見えざるインパクトこそこの連続的自爆テロの狙いであり、アメリカ合衆国が本気で内省すべき「倫理的背景」そのものだ。だがブッシュ2世は軍に対し直ちに「テロ」への報復と戦争の準備に入らせた。欧州もこれに右ならえし小泉首相は両手を上げて同調した。つまり「反省」でなく世論を一定の方向に誘導し「ならず者国家」やテロ指定国呼ばわりによって戦争機会を増大するとともに、彼自身の戦争行為を正当化しその支配的権威によって世界を同流体に引きずり込むことに成功した。かくして世界は大アメリカ帝国と化したわけだ。我々は多くの「テロ行為」には同調しないが、その意は十分に同情すべき内容を有すると思っている。「コザ騒動」の例を引き出すまでもなく、「怒りが爆発して」「正当な」自己実現を目指す民衆の「止むにやまれぬ」行為が現実に生起する可能性が見えてきた。(中断)


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