沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり 血塗られ、精神が殺されるオキナワという符牒

2018年12月28日 19時12分45秒 | 政治論

 「絶望」というのは、逆に言えば、人を一つの「確信」に辿り着かせる心的現実的アイテムにほかならず、それを以って(絶望したからと言って)たまさか何かの恒久的な終わりと思ってはならない。しかし、これまで自分を引きずってきた「うそうそとした」感性の陥穽にすぎない「赤ママの歌」とは手を切らねばならない。つまり我々をセンチメンタルや慨嘆に引きずって止まないところの「詩」の終わりだ。

 さてその確信だが、カフカが言う「この世には精神の世界しかないという事実は、我々から希望を奪って確信を与える」の、「確信」のことだ。ところで、筆者の見るところ我々が掛け値なしに確信できるのは次の事実だということ、即ちわれわれ人間はいずれ死ぬし、しかしながらむしろその故にこそ死ぬまで生きる切実さに想到する、という二つの事実で、この世にはこれ以外には何一つ確からしいことはない。仏法に言う無常とか虚無、空だ。イエスは言う、「私がこの世に来たのは平和をもたらすためではない、却って剣を投ぜんがためだ」。そして般若心経に言う「空即是色 色即是空」、この世の現象は全て幻想と妄想の産物だが、人間は、こうした「色」という現象を通してしかそれの「空」たることを知り得ない。どういうことか。一方、「一切空」に至ればこの世を超絶して「如来」に達する。生と死は同一地平の同じ生物学的事件だが、死の周りに収斂していく生は死と等価であり、死ぬまで生き続ける、死ぬまで闘い続けるという意味で、終わることがない魂の、弛まぬ持続性である。

 筆者は不可知論者で、抽象論にしか興味がない。「オキナワ」という符牒に関して言葉をもって何事か解明するとすれば、「オキナワ」が何時からか保有し始めた「オキナワ」風情(非武の邦と銘打った近世琉球の本質)に対し、恐らくは敗戦を通じて明確になった近代日本の度し難い後天的民族体質(間尺に合わない覇権的性格)が、敗戦を通じて行われるべきだった近代日本の真摯な総括の完全な欠落という欠陥を戴したままに、現代社会に、ある意味のうのうとのさばりきった挙句、戦前と同じく再びその大多数の国民を情報統制と印象操作をもって篭絡、欺瞞に満ちた国策を通し、国家政府が、「傍若無人」で恥知らずな国家的分断状態を意図して現出させている(つまり同国内にダブルスタンダードを設えている)ということだ。その問題の本質は結局「戦争と平和」という、人類不変の二項対立である。

 この、二重基準の故に虚構となった日本の国家体制乃至その屋台骨は、虚構であるがゆえに益々居丈高に、手の施しようもなくその悪の総本山を堅守しているという実態にある。その主体は政官業学利権構造全てであり、その連携は切っても切れないほどに密接不可分の醜く見苦しい結束を見せている。その「つるみ具合」は裏社会のそれと大差ない。そこまでこの国は救いがたく堕落している。おまけに敗戦国日本は、(主に知的上層部分に顕著だが)未だにこの「敗戦事実」の呪いに満ちた頚木から逃れることができず、戦勝国米国他にその国家的民族的本質を徒に玩弄され続けている。この玩弄される国家のとばっちりを受けた故なき犠牲者がほかならぬ「オキナワ」ということになる。つまり、日本国家の対外的不手際、対内的悪弊、の犠牲者だ。

 如何に美辞麗句で飾ろうが、あらゆる嘘で固めようとしても、今の日本国が情けない三等国家だという事実は、誰も糊塗しようがない。ここに日本国民のうっすらとした絶望があり、「オキナワ」の、戦後汚辱にまみれた外圧的絶望が、理不尽にも不当に不正に押し付けられた格好だ。つまり「オキナワ」が戴したように見える「絶望」は、日本国の絶望を合わせ鏡のように映し出した虚像でしかない。そして日本国民の大多数は、この虚像である「オキナワ」の絶望を斜めにチラ見することで、ある意味おのれらの下卑た留飲を下げている。筆者は移住者であり、かつて10年以上前には内地本土と言われている風土に馴染み、生育し絶望した者だ。おのれに絶望するとともにおのれらの住する国土を席巻する国家権力に無類の不信感を抱き続けていた。しかしここに来る前は、かつて学生運動と言われた仲良し会と同じ穴の狢で、何らの切実な深刻さも真摯さも持たずに、ただ安穏とその日暮らしを暮らしていたに過ぎない、と、思い知った。

 それは明らかに国家権力という暴力が具体的に現実的に、しかも無造作に執り行われる特別な一地方自治体、という立ち現れ方で、呑気な移住者の目の前でその姿をまざまざと見せつけた。

 不思議なことに、このような現実に苛まれている民族が現に存在する(国家的不正がまかり通っている)というのに、筆者がその見識の象徴とさえ目する地球という「世界」が、これまで殆ど何らの有効な手立てを講じることもないというこの在り様は、一体何なのだろう。かつて米帝国主義のむごたらしい犠牲者であったベトナムが、全世界規模での反戦運動によりある種の「自由」を闘い取り、手にしたという記憶は、我々の目に実に鮮やかに焼き付けられた。世界の良心が誠実に起こした市民運動の力を我々は知っている。しかし、それと「オキナワ」の市民運動のどこが違うというのか。何故世界の良心は沈黙しているのだろう。何故同じ地球人である日本国民は見て見ぬふりを続けるのだろう。不思議としか言いようもない。逆に言えば、「オキナワ」から見た本土の「彼ら」は、権力を前に沈黙し、闖入した強盗を目送する臆病な亭主であり、ただ自分だけが助かることを震えながら祈る「小さき人」であり、考える自由と行動する自由を奪われた瀕死の奴隷であり、総じて、諸共に滅亡する旅程に唯々諾々と付き従う「物言わぬ」「物言えぬ」哀れな人群にほかならない。

 既に「オキナワ」は、血塗られ精神が殺されつつある地方とその民、という符牒、レジェンドと化した符牒そのものとなりつつある。誰もこの「特殊で奇態な、悲惨な運命に陥る同胞たち」という流れを止めようともせず、横目で何となくスルーしながら平生を装っているが、実際は卑怯な逃亡奴隷の見苦しい在り様で生きながらえているだけだ。「誰もそのために死んだりしてはいないじゃないか」と思っているヤマトゥの常民は、政治家たちをはじめとしてただの言い逃れだと気づいていないし、論点をすり替えて条件のいいほうに仮託しようとしている。例えば我々の日本歴史の叙述は、昭和天皇の対沖縄の在り様において、歴然とした、不当で理不尽で非人間的な「差別の権化」というものを明確に示唆している。

 沖縄メッセージに至るまで昭和天皇の「対沖縄」の本質部分は継続され、うがった言い方をすればまさにこの天皇の在り様が今日の沖縄現状を土台から形成した、と言わざるを得ない。理屈に合わない、筋の通らない日本国と米国の対沖縄姿勢は、どう考えてみても立憲君主で大元帥だった昭和天皇の言動(沖縄島嶼の軍事的要塞化を米国に寄託する)に依拠している、と今更に思う。天皇制を不倶戴天の敵と見做す人々がこの日本国には存在するのだ。その敗戦の元凶である天皇制が何故何気に?戦後温存持続されたのか、そこにはこれが日本と日本国民の現実に於いて、対日政策に明確に利すると判断した米国の打算が生きていた(東京裁判での天皇不訴追)。日本国民はその天皇制が持続された日本国憲法を受け入れ、以後これを不問に付して顧みなかった。これが同時に、敗戦に纏わる近代日本の洗い直しという重大な国民的作業の欠落という環境を助長した。近衛文麿の助言忠告を等閑に付し、沖縄戦他本土決戦で一矢を報い終戦講和を有利にしたいという、昭和天皇の誤った軍略と国体護持のエゴが、史上稀に見る、悲惨な「沖縄戦」の渦中に県民を叩き込んだ、それは引き続きポツダム宣言受諾の時機さえ誤って広島長崎の惨禍をも招いたのである。

 さて、ここまで「オキナワ」という符牒を抽象的に見てきたが、当然ながら符牒化しない「オキナワ」には、日本国土の0.6%(2,281㎢)のバラバラな島嶼群に、140万に及ぶ県民が住している。つまり、140万の別々の人格が、沖縄の現代社会には交々息づいているということだ。それは数字ではない。数値化すると途端に符牒となる運命を担わされた人々の集合だ。ここが肝心だが、「ヒロシマ」「ナガサキ」「フクシマ」と同じように、何故「オキナワ」は符牒化してしまったのか?いや、「オキナワ」はかつても今も、国や大多数の常民たちの手によっては決して符牒化されまいと闘い続けている、日本で唯一の人民である。この事実を正当に評価しなければならない。「米軍基地問題」という一括りにおいても、それ(基地)を自ら進んで誘致したことなどただの一度もない。一単位の自治体を「符牒化」したのは国であり、その国民だ。沖縄の場合、これをしたのは日本国と米国およびその大多数の両国民にほかならない。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 



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