沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩595 沖縄からの発信 43 没落国家5 県民の闘い2

2015年10月29日 13時09分54秒 | 政治論

 安倍晋三及びその配下、並びに自民政権更にはヤマトゥの常民が有している、沖縄県あるいは琉球民族に対する差別の感情がここに明白になったのだが、県民には当然少しも驚くに当たらずかつ一般国民として嘆くには度を越している、という有様ではある。

 先ず、この辺野古に新基地が出来ればそれは数百年にわたって軍事のための基地が固定化され、かつ工事中断や反対運動激化に伴いこれから数十年は確実に普天間基地も固定的に存続するということである。

 さて、「沖縄の負担軽減」が、この事実のどこに存在するか、誰が明瞭に説明できるか。

 このままこの何の意味もない(既に軍事的戦略的には何の意味もないということが暴露されている)軍事基地が日米共用施設として出来上がれば、県の北部一帯訓練、プラス県内縦横無尽に飛び回り環境破壊するオスプレイが、我が物顔に県民の住環境を占拠する、という馬鹿げた県民犠牲を「はいどうぞ」と許容するのかどうか、ということになる。

 結論から言うと、安倍晋三とその配下、自公政権あるいはヤマトゥの常民は、はっきりと沖縄県民乃至琉球民族を見捨てた、ということだ。但し常民の殆どは無知で無関心であり、為政者の大部分が不勉強で史的見識に欠けることは承知しておく必要がある。

 しかしこれは、現段階での安倍政権の暴走を止められずに出す意思表明にすぎず、我々の闘いは実はこれからだ。何故なら、こうした矢継ぎ早の政府対応は結局沖縄県乃至翁長県政に呼応してやっていることであり、彼らが率先米国に辺野古あるいは沖縄を差し出して唯々諾々とする余裕など実は全くないだろう、と見えているのである。逆に言えば辺野古さえ差し出せば何とかなる、と思い込んでいるのだ。

 我々の見るところ、安倍晋三とその政権には現今国際情勢が正確に読み切れてない、という印象だ。今、米中が南シナ海の覇権を争っているのは所詮大国間のせめぎ合いにすぎず、アジアの陸海空にわたる米国の影響力行使に対して中国がこれを厳しく牽制することは当然至極の成り行きに他ならない。米国における日本の軍事的戦略的実効性が影を薄くしてきている。今更辺野古辺りに軍事基地を拵えても大勢に影響はなく、却ってテロの脅威に曝されることが日常化し又中国の反感を買うだけであろう。

 つまり、我々の闘いは、辺野古の陸にも海にも軍事基地は造らせない、という一点に集中して、安倍晋三ほかの言い分のどこにも耳を貸す必要はない、ということになる。当然これから繰り出す国の法的な攻撃は沖縄県乃至県民への国家的暴力であり、非暴力ながら無抵抗ではない市民運動の本領発揮というべき分岐点となる。それにしてもここにきて、いよいよ運動のうねりを拡張していかなければならずヤマトゥにも逐次波及させていかねばならない。今のところ、自衛隊を市民排除の道具に使う気配はなさそうだが、そうなれば再度知事自身が出向いて国際世論あるいは米国世論に訴えていくことも考えなければならない。(つづく)

 



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