高橋洋一という、偏頗な理数系秀才の文科系音痴を論っても仕方がないが、オスプレイと原発問題は構図が似ているという見方は浅はかな印象主義としかいいようがないのであり(確率論やら統計学をもってこの問題に言及すること自体的を外れている)、こういう見方は丁度「フクシマとオキナワ」を無作為に同一視するのと似ている。
原発は、もともと絶対に手を染めてはならなかった「核」(と原子物理学者なら誰でも知っていることらしい)の兵器化に開発の道筋を与え、これを実際に人間の頭上で炸裂させた人類的犯罪行為(人間が人間であることをやめるということ)に対する贖罪意識を隠れ蓑?に、欧米西側陣営ほか大国が「平和利用」という欺瞞偽善を図々しくもぶち上げた挙句核兵器増産競争に血道を上げる、大戦後世界覇権を巡る果のない犯罪的軍拡の一翼を担ったというからくりにある。
つまり核廃棄物の再利用は即核兵器製造の意味しかなく、目的化した悪業そのものにほかならない。原発は平和利用でなく、各国軍拡核戦争準備のために増設の一途を辿った。日本の原発事業がいかなる目的を有していたか知らないが、多くの推進者の脳髄の片隅に核兵器保有の意思をみることは比較的容易である。同時にそこには「ムラ」の利権的結束もあり、構造化された抜き差しならぬ「悪の巣窟」現象を目の当たりにする状況が現今情勢にはある。
従ってここを狙い撃ちして元凶のあぶり出しをしなければならないが、重要なことは原発犯罪当事者並び予備軍は、原発を推進する一切の政財官学関係者及び電力関係者であり、ひとり東電の犯罪性の論難をもって事足りるものでないことは、先ごろの大飯原発再稼働事件でものの見事に暴露されたわけだ。
しかも原発立地自治体の財政的恩典は、これを十二分に享受して倦むことがなかったといって大外れでないことは、まさしく原発に依存する経済構造を臆面もなく言い募ることで再稼働行為を強力に推進せしめたことからも、明らかなことではある。
一方原発の驚くべき破壊的永続的汚染処理不能実態を前提する、高レベル放射性廃棄物の気の遠くなるような減衰性質は、原発事故の一触即発緊急性に比しても引けを取らぬ問題性を抱えていることは、すでに素人にさえ知られている事実であり、いずれに転んでも待ったなしの課題であることを止めないのであり、とりわけ殆ど地震帯直上に存在する日本の原発はいつでも地球規模で放射能汚染を招来する「グラグラした」地盤の上にあるということで、引くも地獄進むも地獄の一丁目なのである。
我々は原子力への大した知識もなく、果たして「脱原発」が効果的な「脱造出放射能」といえるのかわからない。ただそのほうがよりリスクを低減するかもしれないというにすぎない。
今年に入って数度の事故乃至問題を起こしたオスプレイは、その事故原因等内容如何に関わらず、その、我々が明らかに目の当たりにした危険性を、誰がどうごまかせば「安全神話」に変貌するというのか。ここでも我々はこの無様な飛行物体については殆どなんの知識もないのだが、こいつにだけは来て欲しくないという、ごく当たり前の感覚でいるばかりではないか。
そしてここでも、米国戦争屋の対中国軍事思潮に基づく引くに引けない財政的事情を絡ませているのだが、我々はそんなことは知っちゃいないのだ。およそ国家エゴによる人民乖離の軍事的行為は、最終的に人民を無視する内容で突進する。従ってこれは人民への戦争行為とみなされる。人民は決して自分を殺しに来る輩の意のままに殺されてはならない。こいつらをさえ殺したくないとすれば自殺する方が良い。日米安保条約を破棄し、米国戦争経済主義と袂を分かつことにしかこの国の未来はない。(中断)