沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩292 ウチナンチューの方々よ

2011年01月19日 14時32分50秒 | 政治論
 例えば枝野が「沖縄の理解を得る」という表現をするとき沖縄は最初から「県内移設反対」という世論に埋め尽くされているというのになんという無駄で甲斐のない努力に血道を挙げる政権かと、納税者としては断じて許しがたい議員報酬泥棒呼ばわりの類に堕する事態なのだが、出てくるやつ出てくるやつ誰もかも同じ発言の繰り返しに沖縄はうんざりしているし、こういう効果のない政策方針を聞かされるたびにこいつらは普天間に関し解決しようという意志も意図も持ち合わさずましてや過去の官憲並みに強権振りかざし武力行使するくらいの敵対関係出現さえ恐れているわけで、嘘つき加減もきわまれりといった按配だ。この政権に限らず戦後の日本の政治家がアメリカに物申せぬ体質なのは歴史が証明している。しかしその実質的本体は戦後日本を実質牛耳った官僚たちであり、逆に言えば官僚たちの政策コントロール力に太刀打ちできない政治家本人の不勉強にも大いに問題がある。いずれにしろ怯惰な政治姿勢に貫かれた対米関係をどうにかしない限り普天間は絶対に解決しないし、アメリカは絶対に辺野古から手を引かない。この状況は沖縄にとって政治の停滞としてしか作用しない歴史的愚行であり日本の精神性の問題である。何故この体たらくははびこるか。民主党がマニフェストに掲げた「官僚主導の政治を政治主導に」のまさに政治主導力が欠けていることにしかない。つまり事実関係乃至情報関連の豊富な知的蓄積こそ官僚が得意とする分野であり、そこに政策立案するのは官僚でなく政治家だという認識を政官双方が相互に持する必要がある。普天間に関し、国民には最初から辺野古ありきで進んだ鳩山政権時の政官関係が見えていたのであり、理念もなく政治的主導力もない北沢岡田前原らの情けない対米追随姿勢が一貫して鳩山失政時にはあったのであり、沖縄は愚弄され尽くした。沖縄は政治にアキラメを感じていると思われる。しかし自己の死活を決する辺野古移設を黙認するほど暢気な話はない。政治に絶望しても自己自身に絶望する必要はない。沖縄が日本本土と同等な文化的歴史的精神的歩みを歩んだならあり得ない沖縄独自の風土性に鑑み、この独自性に依拠し、ゆるぎなく絶え間ない歩みをやめない限りは、沖縄の精神的価値は普遍化する。だからこの国の政治には期待せずとも辺野古に新基地は作らせないという意思と抵抗、住民闘争の火だけは決して絶やしてはならない。これは成田闘争とはいささか違って沖縄的民族性アイデンティティが焦点でもある。本国イギリスに非暴力不服従で抵抗して勝利したガンジーの精神は今や非常な価値のある歴史的遺産として沖縄に味方する。見方が甘いといわれるかもしれないが、理念と希望なしに精神闘争は決してできないのではないか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。