沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩595 沖縄からの発信 43 没落国家2 誤った情報伝達

2015年10月22日 08時10分09秒 | 政治論

 私事にわたるが当方沖縄に移住して足掛け10年弱という頃合いで、一般に他所に比し移住にまつわる人々の思いの多寡が際立っている土地という認識に間違いがなければ、そろそろここに来た一人の日本人として(移住者の特権で)沖縄に関する何らかの個人的な随想を述べてもいいのかな、と思ったりする。元々ブログなんてえのは随筆的日記風在り様で成り立っているので、個人色が一層強く反映されて当然の、ある意味では不作為に公開されたジャーナリステックな小道具であり、意識の度合いに拘わらず何処かに向かって発信された恐らくは拙いメッセージというべきものであろう。当方、このブログもほぼ政治的な関心事に絞って4000件ほどの駄文を並べたが、当然に移住先の、取り分け沖縄本島北部「やんばる」と呼称される地域に収斂するような力学で、いつの間にか政治的に明瞭な実存を企てている自身に気が付く仕掛けとなっていった。

 これが琉球島嶼の簡略な全体図である。「やんばる」というのは山原と漢字化されるところの、上図から言えば金武(きん)町、恩納(おんな)村を南端としてこれより以北、伊江島(伊江村)を含む地域だ。1945年4月以降の米軍沖縄島上陸侵攻作戦(アイスバーグ作戦)は、中部西岸にある読谷(よみたん)村海岸に端を発し先ずその東、現在のうるま市辺、中城(なかぐすく)湾に至り南北分断することで最初の前線橋頭保を築いたのである。この間5日ほどであった(上陸は日本軍の抵抗も散発程度でほぼ無傷で完遂された)。随時南部侵攻と北部侵攻が実行されたが、その月の内に北部一帯を、伊江島含め制圧した。因みに伊江村ではアハシャガマ(ガマ=天然の防空壕)などで約100人の集団強制死があった。恩納村でも次のような記録がある。ここでは11人が亡くなっている。 

恩納村安富祖での「集団自決」http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec03/cont00/docu132.htm

 又、北部西岸に突き出ている本部半島(名護市、本部町、今帰仁村を含む)での日米戦闘は熾烈を極め4月10日頃から1週間続いた。下は本部町、今帰仁村の記述だ。

http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/senseki/detail44.html

http://yannaki.info/sensou2.html

 このほか沖縄戦を巡る記述、記録(激戦であり悲劇的様相を呈した中南部の戦闘のものが中心となる)は数限りなくあるが、ヤマトゥでこれが目にされることは意識的でなければまずない。当然戦後の県民の生活について関心を寄せることも殆どない。今、沖縄で何が起きているか、ヤマトゥのメデアが一種の使命感を持って継続的連続的に、かつ意識的に伝えなければ、ヤマトゥの一般人がこれを知る機会はほぼゼロに近く限られてくる。だから、ヤマトゥの一般市民は沖縄について正確なところは何も知らないといってよく、知ろうともしないし、事あるごとに政府寄りの情報を伝播するだけのヤマトゥ的ジャーナリズムでは、誤った情報知識で極めて実態からかけ離れた「常識」が出来上がってしまうのだ。これについて最近毎日新聞が以下のように報じている。

http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20151009dde012010004000c.html

 政府の情報操作は国家運営上の画策によるのであり、その情報信憑性には眉唾な面が否定できず、大方は戦時中の「大本営発表」の域を出ない、と思うべきだ。メデア、マスコミ、ジャーナリズムの本来の職業的使命にあっては、こうした権力側、体制側の繰り出すデマ的宣伝性を帯びた情報を「批判的に」報道し論評する姿勢なり心がけが必要とされ、かつ、市民にとってはより正確で実像に接近する情報の伝播こそ望ましい、という常識に立つことだ(このことは、震災で原発事故情報錯綜乃至隠蔽あるいは過小扱いされた発表などによって、多くの危機回避可能性を減滅させたという事実に明示されている)。但し、NHKはじめ民放など放送業界には既に安倍政権の情報統制が巧妙かつ大胆に加えられ、政権批判、体制批判の鉾先を鈍化させている。所謂3大新聞なども社説始め論調が極めて通り一遍の在り様で流されているのは、どこかこの政権への根底的な畏怖感が蔓延っているようにさえ見える。この政権が何気に持っている太々しい自己正当化の足元には、手練手管で絡めとられた「民主的」という名の批判精神が息も絶え絶えに地を這っている様子が窺える。こうした権力による囲い込み運動に抵抗し抗議し、彼らの動きを逐一監視し、諌止しようとしている唯一の自治体がこの沖縄県であり、これに賛助の手を惜しまないのが沖縄のジャーナリズムである。ここには、本来ヤマトゥ自身がしなければならず、すべきであることを当たり前のように実行する、深い意味の草の根的な底流がある。そしてこうした市民活動に一切耳を傾けず弾圧さえし、まるで私人のように放言的な政府談話を繰り返すスポークスマンがいる、それをまた公式な見解として通用させている政治環境がこの国にはある。そこから一体にしたヤマトゥの非常識な常識が醸成されている。今、辺野古を巡って存在する理不尽このうえない沖縄虐待行為は、こうしたほぼ正論をシャットアウトされたこの国の「民主制」病態にまんまと便乗している自公政権の図々しい居直り強盗行為そのものだ。(つづく)

  

 

 

 

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2015年10月22日 06時50分09秒 | マスコミジャーナリズム

知事「辺野古承認取り消しは正当」 国交相に意見書送付

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-158340.html

辺野古環境委7人、国のアセス研究会に所属 評価書補正に提言

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-158341.html

500人「新基地阻止」訴え 那覇で反戦デー集会

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-158349.html

琉球新報連載「道標求めて」に早稲田ジャーナリズム大賞 「新聞の役割問う連載」

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-158346.html