沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 沖縄タイムス社説

2015年10月16日 08時45分21秒 | マスコミジャーナリズム

社説[空軍オスプレイ訓練]負担軽減はまやかしだ

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=137284

この国の欺瞞は、そのままこの国の米国傀儡性を意味している(この国の欺瞞は結局この国が米国に対してなにも文句を言えない結果としてある)。これは既に米国政府において戦前から企図されていたことで、「(日本国政府が国家として)何の努力もしなければなし崩しに傀儡化され、持続的漸進的にその深化、増幅、拡大化が謀られる」ということになる。沖縄県のこれまでの、これからの、そして現在の、市民的な闘いは、この国の土性骨を真っすぐにするための闘いそのものとなっている。「そのために生まれてきた」歴史的な沖縄の運命は実に呪われた運命というしかないが、対立軸において国に正対している一地方自治体でしかも独立した民族性を有した、一個の単子として確実に存在性と運動性を示し続けるこの島嶼に、恐らくは世界でも稀な理念的倫理的継続性を保持する哲学的人間的な価値を認めざるを得ない。封建遺制が通用させられているこの島々の物語は、「悪代官対民百姓」という単純極まりないテーマにおいてしか語られないのだが、一方では、この国の行く末がこの単純な対立から生じるうねり、潮流によってどこまでこの国の民を心底動かせるかについては誰にもわかられてない。つまり沖縄の闘いは日本の重大な本質的な問題への様々な意味のアプローチを促し大小のインパクトを加えることとなるのだ。だから、沖縄の闘いは知事も含め「チルダイする」ことなく、諦めることなく続けられることで「歴史上真実と愛が勝たないで終わったことはない」という言葉が正しいことを、多くの日本人たちに証明することになる。