(1987:治水、想定洪水に異議)
石川県は、基本高水※13 について具体的な根拠を示して説明をすることを当時は拒否しており(専門技術的なことであり、治水事業の専門家である河川課に任せておけばいいのであり、国の指導を受け、経験豊富なコンサルタントとともに計画書をまとめ、議会承認を得、地元住民にも説明し同意を得ているから、部外者は関与する要はないということらしい。)、辰巳の文化遺産と自然を守る会の公開質問に対しても、1987年(昭和62年)の環境影響評価書においても答えていない。
※13:河川施設を計画するために最も重要な数値で、ここではそのピーク流量1,920m3/秒(旧辰巳ダム計画)を問題としている。
100年確率の数値とはいいながら、過去の洪水と比較して異常に大きいものでその大きさに疑問がありながらも石川県の言い分を鵜呑みにするよりない状況であった。
この石川県が主張する数値に疑問を持った、金沢工業大学の中川武夫は、部外の専門家として、始めて石川県の「基本高水ピーク流量」そのものの大きさに疑問を提示した。1987年(昭和62年)、 『辰巳ダム不要論』を刊行した。
中川の結論は、既存の2ダムの洪水調節で、犀川大橋基準点での最大流量は、1,400m3/秒とした。石川県の計画(旧辰巳ダム計画)では、既存の2ダムの洪水調節で、犀川大橋基準点での最大流量は、1,630m3/秒であるとしていた。
犀川大橋基準点の河道で流すことができる流量は、1,230m3/秒であるので、中川の試算では、170m3/秒の洪水調節が必要であり、石川県の試算では、300m3/秒の洪水調節が必要ということだった。
中川の試算では、犀川大橋基準点での最大流量は、1630m3/秒から230m3/秒と約14%減少し、辰巳ダムに代わる小規模の代替案によって100年確率の洪水を防御できるとした。
石川県は、後に、旧辰巳ダム計画(基本高水ピーク流量1920m3/秒)を改め、新辰巳ダム計画(基本高水ピーク流量1750m3/秒)を策定することになる。想定する洪水の最大流量を170m3/秒縮小することになったので、中川が指摘したこととほとんど変わりない結果となった。
後に、石川県は新たにデータを加え、解析手法も内容を変え、既存ダムの洪水調節量も変更して、旧辰巳ダム計画を衣更えすることになる。
(つづく)
石川県は、基本高水※13 について具体的な根拠を示して説明をすることを当時は拒否しており(専門技術的なことであり、治水事業の専門家である河川課に任せておけばいいのであり、国の指導を受け、経験豊富なコンサルタントとともに計画書をまとめ、議会承認を得、地元住民にも説明し同意を得ているから、部外者は関与する要はないということらしい。)、辰巳の文化遺産と自然を守る会の公開質問に対しても、1987年(昭和62年)の環境影響評価書においても答えていない。
※13:河川施設を計画するために最も重要な数値で、ここではそのピーク流量1,920m3/秒(旧辰巳ダム計画)を問題としている。
100年確率の数値とはいいながら、過去の洪水と比較して異常に大きいものでその大きさに疑問がありながらも石川県の言い分を鵜呑みにするよりない状況であった。
この石川県が主張する数値に疑問を持った、金沢工業大学の中川武夫は、部外の専門家として、始めて石川県の「基本高水ピーク流量」そのものの大きさに疑問を提示した。1987年(昭和62年)、 『辰巳ダム不要論』を刊行した。
中川の結論は、既存の2ダムの洪水調節で、犀川大橋基準点での最大流量は、1,400m3/秒とした。石川県の計画(旧辰巳ダム計画)では、既存の2ダムの洪水調節で、犀川大橋基準点での最大流量は、1,630m3/秒であるとしていた。
犀川大橋基準点の河道で流すことができる流量は、1,230m3/秒であるので、中川の試算では、170m3/秒の洪水調節が必要であり、石川県の試算では、300m3/秒の洪水調節が必要ということだった。
中川の試算では、犀川大橋基準点での最大流量は、1630m3/秒から230m3/秒と約14%減少し、辰巳ダムに代わる小規模の代替案によって100年確率の洪水を防御できるとした。
石川県は、後に、旧辰巳ダム計画(基本高水ピーク流量1920m3/秒)を改め、新辰巳ダム計画(基本高水ピーク流量1750m3/秒)を策定することになる。想定する洪水の最大流量を170m3/秒縮小することになったので、中川が指摘したこととほとんど変わりない結果となった。
後に、石川県は新たにデータを加え、解析手法も内容を変え、既存ダムの洪水調節量も変更して、旧辰巳ダム計画を衣更えすることになる。
(つづく)