◇ 『ビーチハウス』(原題:THE BEACH HOUSE)
著者:ジェイムズ・パタースン(James Patterson)
共著:ピーター・デ・ジョング( Peter De Jonge)
訳者:大西 央士
2003.5 ソニー・マガジンズ 刊
弟ピーターの傷だらけの死体が海岸に打ち上げられたという。
見習い弁護士としてNYの著名法律事務所に就職したジャック・マレン。郷里のロング
アイランドの田舎町イーストハンプトンに帰ってきて耳にした非報に愕然とする。
7つ違いの弟は、地元の富豪バリー・ニューバウアの屋敷に出入りしていたが、ニュー
バウア家の「ビーチハウス」で開かれたパーティの夜、駐車場係の仕事中に海岸に出て
「自殺か事故死」したというのである。
ピーターが自殺するはずはないし死体の様子からして殺人が行われ、バリーらが事件に
深く関わっていると疑うジャックは、祖父のマクリン、恋人の弁護士事務所調査員ポーリ
ーン、旧友ハンク、フェントンらとともに真相解明に立ち上がる。
調べを進めるうちに殺人とその動機を示す写真、殺人を示唆する検屍報告書を手に入れ
た。しかし死因審問の法廷では警察署刑事課長、監察医らは自殺としか判断できないと証
言する。バリーが手をまわし金と脅迫で証言を捻じ曲げたのである。
尋常な手段ではピーターの仇は取れないとジャックらは奇策を講じる。
バリー、その妻、弁護士、警察の刑事課長等々事件に関わった関係者を拉致し、ジャッ
クが告訴人、マクリンが裁判長となって私的法廷を構築、公正な裁判手続きに倣い、彼ら
が入手した証拠を挙げ、証人尋問を行い犯人を問い詰める。しかもその様子をライブでTV
に流すという破天荒な手法。
ジャーナリズムを初め世間は沸騰する。
結局追い詰められた犯人グループは司直に手に渡り、正規の裁判にかけられるわけである
が、「罪を糺すは我にあり」とはいえ、犯人グループを拉致した罪は免れない。
しかし連邦地裁における裁判においては、通常であれば20年保護観察という判決が予想さ
れたが、意外や判決は600時間の地域サービス、並びに法律扶助協会、命の弁護団を通じて
の弁護活動をする義務が課せられるという穏便なものとなった。要は検察の手を省いて犯罪
者を暴いた功績に免じ罰を軽減したわけである。
判決の中で判事が述べている。「現在は我が国の刑事裁判制度にとって暗黒の時代です。
近年の耳目を騒がせた裁判の評決は、あからさまに、この国では正義が富や名声によって、
それを買える人たちだけのためにあるとい言われても仕方のないものになっています」
この小説はサスペンスに満ちたエンターテイメントではあるが、作者の意図は現代のアメ
リカにおける、金と権力の腐敗に満ちた社会状況を糾弾するところにあると見る。
(以上この項終わり)
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