◇鮮烈な印象シリ・ハストヴェットの「目かくし」
いつもいつもサスペンスとハードボイルドでは、余りにも偏りが過ぎるし、エンターテイメント
一辺倒の誹りをまぬかれない。たまには純文学を、と思って図書館の本棚を探し
ていたら、シリ・ハストヴェットという作家の作品に出会った。
米国ミネソタ州ノースフィールドの生まれ。父親がノルウェー系三世、母親はノルウェ
ー人で子供時代は英語の前にノルウェー語をおぼえたという。
名門コロンビア大学大学院で19世紀英文学専攻の才媛、博士号を持つ。この小説
の魅力は、フィクションの魔力に取りつかれた主人公の現実との混乱にある。
詩やエッセイ・短編小説を書いてきたシリ・ハストヴェットの初めての長編ということ
であるが、内容的には一人の主人公(アイリス・ヴィーガン)を巡る4編の短編をつな
いだ連作短編集的な色彩も強い。ミネソタの田舎町からNYという「決して眠らない
街」に出て、貧窮の中で精神的・肉体的に過酷な体験を重ねる若き女子学生の
苦闘の記録である。作者の経歴と二重写しになっている部分が多く、フィクションと
もノンフィクションともつかない描写にリアリティがあって、奇妙な魅力がある。
亡くなった女性の遺品に不気味な執着を寄せるミスターモーニング(第1章)、人間よ
りも写真を愛する若者ジョージ(第2章)、さまざまな人格に変わり忽然と姿を消す
神経科患者のO夫人(第3章)、アイリスと恋に落ちる大学院担当教授のローズ博士
と奇妙な魅力がある美術評論家パリス(第4章)。オムニバスのごとき構成でそれぞ
れ独立しているが、主人公を取り巻く人々との交流を通じて自らの隠れた精神的
偏りや執着が明らかになっていく。
なんといってもこの小説の主題は、第4章に登場する「クラウス」であろう。「残忍
な少年」を知ったために、フィクションの世界と現実の世界の境界が混沌として
くる危うさ。 身にまとう衣装によって人格も変身するという、誰しもかすかに覚え
のある魅力的体験に、やがて度を越してのめりこんでいく主人公の悩みが、繊
細なタッチでつづられる。
アイリスはある日恋するローズ教授にドイツの小説「残忍な少年」の翻訳を頼まれ
る。難解で複雑なエッセイに苦労しながらも翻訳に取り組むアイリスは、間もなくその
主人公「クラウス」少年の虜になる。「良い子」を強いられるクラウスは、想像の世界
で不真面目で残忍な行動を望み、ついには衝動的にその実現を試みる。
翻訳を続けるアイリスは自らも男性の姿形で街を徘徊し、剣呑な酒場をうろつく
生活から抜け出せなくなる。男性の衣装を身に付けた時、自分が変身し、これ
まで出来なかったことが平気にできるという魔力に取りつかれたのだ・・・。
ところで著者シリ・ハストヴェットは、実際会った人の話では北欧系の長身の大変な
美人だそうである。
「目かくし(原題:The Blindfold)」
著者:シリ・ハストヴェット(SIRI HUSTVEDT)
訳者:斎藤英治
白水社 2000年4月刊
(以上この項終わり)