今日の本で、著者が会ったフーヴァーFBI長官の歪んだ価値観や押しつけがましく現実よりも自分の思いを重視する態度や強圧的な話しぶりの描写から私が連想したのは、トランプ大統領の言動でした。アメリカでは“そういう人"が出世しやすいのかもしれません。
【ただいま読書中】『スパイ カウンタースパイ ──第二次世界大戦の陰で』ドゥシェコ・ポポフ 著、 関口英男 訳、 早川書房、1976年、1300円
ユーゴスラビアで弁護士をしていた著者は、反ナチスの信条をうまく隠蔽してドイツ情報部に潜り込んだ親友から諜報の世界に誘われました。ナチスは、イギリスの上流階級で自由に動けるスパイを欲しがっていたのです。話を受けた著者は、その足でベオグラードのイギリス大使館に向かいます。連合国のためにスパイをしよう、という申し出と共に。
これはいわゆる「二重スパイ」です。ドイツのために働いているふりをしているイギリスのスパイ、ですから
だけど著者にとっては、「反ナチス」の人間が、なぜかドイツからスパイにならないかという申し出があったのを「反ナチス」の活動のために使う、という“言動一致"の行動だったのでしょう。
ただこうなると「誰が本当の味方か」が非常に重要な問題になります。自分だけではなくて、家族や友人の安全や生命までかかっていますので。そこで「信頼できるかどうかの判断」が重要です。「誰も信じられない」スパイが活動をするためには「信頼」が重要、というのは、なかなか皮肉な状況です。
著者はイギリスに「ドイツのスパイ網」を構築します。イギリス情報部の協力があるのですからそれほどの苦労はありませんが、ドイツ情報部(のナチス信奉者)に怪しまれないためには細心の注意が必要です。ドイツはイギリス国内でのスパイへの支払いに苦労していましたが(戦時ですから金を持ち込むのは大変です。だけど支払いが遅れたら、金目当てのスパイは簡単に裏切ってしまうでしょう)、著者はそれも解決してみせます(「ミダス計画」と呼ばれますが、“受付"はもちろんイギリス情報部員でした)。ともかくドイツは「こいつはとんだ拾い物だった」と著者に絶大の信頼を寄せるようになり、アメリカでのスパイ網構築というビッグプロジェクトを命じます。そこで著者は、ドイツから見たら「ユーゴスラヴィア情報省代表」として、連合国側からは英軍情報部将校としてアメリカに出向してFBIの傘下にはいることになります。話がややこしくなります。いくら写真的に完璧な記憶力があるにしても、話にぼろが出ないようにするのは大変でしょう。
ドイツ経由で著者は「日本がタラント奇襲について詳しい情報を欲しがっていること」を知ります。イギリス空母イラストリアスから発進した航空機部隊によるイタリア艦隊への奇襲攻撃(それも大成功に終わったもの)ですが、もちろんこれは真珠湾攻撃のために欲しい情報だったわけです。さらに著者はドイツ情報部がなぜかハワイの真珠湾の弾薬庫などの配置情報を求めていることを知ります。ドイツがそんなところに興味を持つ理由は?
アメリカに出発する前、著者は「マイクロドット」を知ったスパイ第一号になります。これは、書類などを顕微鏡写真として小さなそばかす程度の「点」にまで縮小させる最新技術で、スパイが情報伝達をするのが画期的に楽になるのです。「それ」があることを知らなければ、見つけることもできません。もちろんこの「情報」そのものが、連合国情報部にはとても重要なものでした。
著者がアメリカに出発する直前の数日、イアン・フレミング(「007」の作者ですが、当時は海軍情報部所属)が著者を尾行していました。尾行ではなくて護衛だったのかもしれませんが。そこで見せた著者の「プレイボーイぶり」「酒の飲みっぷり」「ギャンブルのぶっとんだ感覚」などがのちに「007」の人物造形に影響を与えたのかもしれません。
アメリカに到着した直後、著者は日本が真珠湾奇襲を企図していることをFBIに伝えます。しかし彼らは信じません。リヒャルト・ゾルゲが「ドイツにはソ連侵攻の計画あり」を打電したのにスターリンがそれを信じなかったことを思い出します。情報が欲しいからこそスパイを派遣するのに、「どうせスパイだから嘘だらけだ」とそのスパイの言葉が信じられないと情報を無視するとはねえ。おっと、陰謀論に従えば、アメリカは「真珠湾攻撃」情報を信じたのかもしれません。そして、その上で敢えて情報を放置した、という可能性もあります。ただこの陰謀論の致命的な弱点は「無防備ではなくて、ちゃんと備えて日本軍に反撃をして撃退しても、アメリカ国民の結束などの効果は同じように得られた」点です(このことは著者も指摘しています)。そこから著者はおそろしい推論に至ります。私もこの推論に反対はしません。それにしても「自分の権力」に執着するあまり、周囲に大きな損害を与えても恬として恥じない、というのは、おそろしいものです。