【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

昔の東洋一

2019-07-20 07:05:07 | Weblog

 私は小学生の時に「東洋一の吊り橋:若戸大橋」を歩いて渡ったことがあります。当時としてはその威容に感銘を受けましたが、現在よく考えてみたら「東洋一」って、何なのでしょう? 日本一だけど世界一ではない、ということ? それなら日本一でも良いのにね。
 なお若戸大橋は、現在は歩道がなくなっていて、もう歩いて渡ることはできません。

【ただいま読書中】『東洋一の本』藤井青銅 著、 小学館、2005年、1300円(税別)

 著者はまず「東洋一」をネット検索します。するとヒットするのが2万件以上。ちなみに現在私が検索すると114万件ヒットします。
 まずは鍾乳洞から。ところがここで話が立ち往生というか堂々巡り状態に。「東洋一の鍾乳洞」を名乗る鍾乳洞はやたらと多いのですが、その「基準」がないのです。長さか規模か高低差か美しさか。皆さん好きなことを言っているようです。
 そもそも「東洋」とはどこ? 著者は身近な人間にアンケートを試みますが、けっこうばらばら。一致しているのは日本が「東洋」の東限に位置することだけです。「西洋人」は「中東から向こうは全部東洋」という意識ですが、中国人は「日本のこと(だから日本軍人は「東洋鬼」と呼ばれました)」、韓国人は「韓国、中国、日本、台湾」、日本では「中東は入れないだろ、インドは……えっとぉ」といった感じ。
 ここで著者は「三国」に出くわします。「三国一の花嫁」といった使い方をしますが、これは「唐、天竺、日本」のことです。『日本国語大辞典』では、「日本一」は1220年ころ、「天下一」は1300年代後半、「三国一」は1400年代前半、「世界一」は1895年が文献の初出ですが、では初出不明の「東洋一」は「三国一」と「世界一」の間のどこかで登場したのではないか、が著者の仮説です。
 会社や学校の名前で「東洋○○」はたくさんありますが、その多くは戦前、特に大正時代に設立されているようです。もしかしたら「東洋を名乗りたくなる時代の機運」というものがあったのかもしれません。
 「西洋」と単独で対峙できないから「東洋」という「拡張された自我」を持つことによって、日本という国は西洋と対峙しようとしていたのではないか、という“心理分析"のような仮説も登場します。ならば「東洋」は、きちんと定義されない方が都合が良いことになります。なんとでも解釈できる方が、いろんな主張ができますから。
 意外だったのは「オリエンタリズム」には差別の匂いがする、という指摘(それを言ったのはパックンマックンのパックン)。もともと「西洋人」が言う「オリエント」には「西洋以外」の意味がありそこには「西洋よりは劣った」という価値観が付着していました。しかしその二分法の表面だけが日本にやって来て、日本では「東洋」と言ったらちょっと心強い、と「東洋」が愛用された、つまり、日本では「東洋」は「日本」と同義らしいのです。それを言うと「西洋」からは軽蔑されている、とも知らずに。さらに日本人観光客が東南アジアの観光地で「アジア的なものを感じる」という感想には「プチ・オリエンタリズム(日本から見て劣ったもの、という言明)」があるのではないか、という指摘もあります。「オリエンタリズム」があるからこそ、アジア人である日本人がわざわざ「アジア的」なんて口走ることができるのだ、と。ところがそこに「中国」がからむと話はさらにややこしくなります。
 いや、単なるお馬鹿話でまとまるのか、と思っていたら、意外に(失礼!)深いところまで話が行ってしまいました。私自身、自分の中で「東洋一」に反応する部分を、もうちょっと深掘りした方が良さそうだ、なんてことを思っています。