【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

水に親しむ

2019-07-30 07:25:05 | Weblog

 私は子供時代、遊び場に「近くの川」が含まれていました。ふらっと行って適当に遊んで帰る場所です。ところが現在そこは勝手に降りてはいけない場所になり、子供たちは「親水公園」で遊んでいます(というか、遊んでいません。子供の姿は見えません)。普段から付き合っていないと、川の楽しさも、川の危なさも、わからないまま育ってしまうのではないかなあ。

【ただいま読書中】『都市と堤防 ──水辺の暮らしを守るまちづくり』難波匡甫 著、 水曜社、2017年、2500円(税別)

 「水害」は「洪水」「高潮」「津波」などによって起きますが、それぞれが違う現象で、したがって対策もそれぞれちがう思想と技術が必要になります。堯舜禹の伝説にあるように、古代中国では名君の絶対条件は「治水に成功すること」でした。そしてその条件は、大きな川沿いにある国(都市)の為政者にとっても同じことだったでしょう。しかし中世まで、人は基本的に「水のなすがまま」状態でした。
 江戸時代、治水目的で「提」があちこちで構築されます。また、船運のために川や運河の利用も活発にされるようになりました。また、船を用いての神事も各地で盛んに行われました。ただ、鉄道の普及で船による運送は衰退、高い防潮堤の建設で水辺の神事は住居地との一体感を失います。
 地盤沈下が問題視されるようになったのは、明治末頃からです。臨海部を工業地帯として整備、地下水を無制限に汲み上げた結果、地盤はずぶずぶと沈下し始めました。明治25年ころから東京市は水準測量を開始、問題を把握しましたが、それが顕在化したのは大正12年の関東大震災前後の測量で、江東デルタ地帯の異常沈下が指摘されたときでした。ところが工業用水は絶対必要。そのため地下水汲み上げは中止されず、地盤沈下は継続することになります。東京市以外の各都市でも同じ現象が見られ、どこでも高潮対策が急務となりました。そういえば高度成長期の少し前、「江東区などのゼロメートル地帯」の問題が新聞やテレビで取り上げられていたのを小学生だった私は見た覚えがあります。社会科で「輪中」について習った後だったで、印象深かったのです。
 高潮対策は、戦時中は中断していました。戦後すぐも経済成長が鈍かったため地盤沈下は生じません。高度成長期にまた再燃。当たり前ですね。工業用水をまたぞろがんがん汲み上げたのですから。カスリーン台風などによる高潮でひどい目に遭った記憶は、すぐに薄れていたようです。ただ、巨大な水害による首都機能の停止、莫大な損害、住民訴訟の怖れ、などから、行政は本腰を入れ始めます。ところが、せっかく巨大な防潮堤を作ってもそのすぐ外側に埋め立てが始まって、防潮堤が交通を阻害するようになったり、なんだかちぐはぐです。
 東京では「高潮で一滴の浸水も許さない」ですが、ニューヨークやヴェネツィアでは「高潮による浸水は許す」態度で対策が立てられているそうです。ただ、海面上昇もあって、いつまで「許す」と言えるかはわかりません。といって、日本全土を巨大な防潮堤で完全に取り囲むのは非現実的。さて、どのへんが落としどころなんでしょうねえ。