【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

人を食った話

2019-07-28 07:06:43 | Weblog

 昭和の子供時代、近所の八百屋の店先に「人肉」と表示が出ていたことがあります。「八百屋で人の肉?」と不思議に思って親に聞くと「あれはニンニクと読みなさい。字は違っているけどね」と教えてくれました。国語事典で調べたら「大蒜」とあって、これは自分には書けないし読めないわ、と思いましたっけ。
 八百屋さんはたぶん冗談のつもりで書いていたのでしょうが、あまり好評ではなかったようですぐにその紙は引っ込められて二度と登場することはありませんでした。

【ただいま読書中】『「死体」が語る中国文化』樋泉克夫 著、 新潮社(新潮選書)、2008年、1000円(税別)

 中国で文化大革命の嵐が吹き荒れていた1960〜70年代、著者は香港で暮らしていて、一般新聞にも「死体の写真」が堂々と掲載されていること(そしてそのことが香港市民には問題視されていないこと)に驚きました。墓地にも驚きます。風水で墓地の適地とされた場所に、土葬をされた棺桶と墓石(個人墓)がまるで段々畑のように山の斜面を整然とぎっしりと覆っているのです。土地不足から香港政庁が火葬を提唱し、1974年には「龕(がん)」(遺灰を納める30センチ×30センチの壁の仕切り。それを名前などを刻んだ大理石の板で密封する)の集合体の壁によって構成された墓地が広大な東華義荘という墓地の一画に作られました。しかし中国人にとっては「故郷の土地に土葬される」ことが「本当のこと」で、それ以外は本来は認められないのだそうです。だから、死者を入れた柩を故郷に送る「運棺」「運柩」は戦前の中国ではごくふつうに行われていたそうです(たとえばカナダからは、墓から掘り起こされた骨は洗骨されて運送費は華僑社会負担で中国に船便で送られていました)。ただ、大恐慌で費用負担に耐えられなくなり、死者はずっと「仮安置」の状態で帰郷を待ち続けることになってしまいました。
 放射性廃棄物を「仮置き場」にずっと置き続けているのと、ちょっと似ているのかな。
 中国の伝統では「葬式は派手にすればするほど供養になる」とされていました。紙銭などの燃やすことが前提の紙製の冥間用具を大量に用意し、異常なくらい派手な宴会を行うのが“ふつう"です。その風潮は、共産党政権が成立したとき一時的に下火になりましたが、やがて復活。昔(封建時代)よりもさらに派手になっているそうです(これは中国本土だけではなくて台湾でも同じで、その実例紹介を見ると唖然とします)。そういえば中国の小説で、子供がとんでもない借金をしてまで親の葬式を出す、というシーンを読んだことがありましたっけ。ただし、単に「葬式が先祖返りをした」だけではありません。葬式がビジネスと結びついてしまったのです。共産党支配の国なのにね。
 「死者に鞭打つ」ということばがありますが、これは実際にそういう行為(伍子胥が墓を暴いて仇の死体を鞭で打った)が春秋時代にあったことに由来するそうです。もちろん墓暴きは重罪ですからその行為にはインパクトがあったわけ。ところが清朝の時代(この時代も墓暴きは重罪)、「日照りが続くのは、最近埋められた死者についた悪鬼のせいだ」と言いがかりをつけて墓を暴き死体を打ち据える「打旱骨」という「雨乞い」が北京周辺で行われていました。墓暴きは絞首刑なのに、ほとんど北京周囲では黙認状態だったそうです。法律よりも迷信の方が協力だったんですね。
 骨へのこだわり、屍肉食いなどの話題も登場します。「死(死体)」に対する態度は「生」に対する態度が反映されています。中国で行われている「死体に対する扱い」に驚きを感じる、ということは、おそらく「生に対する態度」もまた私の価値観とはずいぶん違ったものなのでしょう。いや、どちらが良いとか悪いとか、ではなくて、「違う、いや、とても違うのだ」をきちんと前提に置かないと、コミュニケーションもきちんと取れないのだろう、なんてことを私は思っています。