【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

幹/『エチカ抄』

2009-01-14 18:41:58 | Weblog
 根掘り葉掘りいつまでも質問し続ける人は、「根」と「葉」ばかり見て肝心の「幹」を見ようとしていません。で、もしかしてやっと幹を見ることができたとしても、こんどは「木を見て森を見ず」になるんだろうな。

【ただいま読書中】
スピノザ エチカ抄』ベネディクトゥス・デ・スピノザ 著、 佐藤一郎 編訳、 みすず書房、2007年、2800円(税別)

 17世紀の哲学者の本です。先日読んだ『脳と心』でシャンジューとリクール双方がスピノザをずいぶん高く評価しているので興味を持って読んでみることにしました。
 ユークリッド幾何学の論証手順によって5つのものが論証されるのですが、その第1章「神について」第2章「精神の自然の性と起源について」第5章「知性の力、あるいは人間の自由について」は全部、第3章「感情の起源と自然の性について」と第4章「人間の奴隷状態、あるいは感情の勢力について」は部分的に翻訳されています。ちなみに「エチカ」とは「倫理学」のことです。
 まずはことばの定義が厳密に行われ、ついで公理が示されます。そして命題が次々論証されていきます。この手続きの厳密さに私はまず魅せられます。「存在」「実在」「実体」「念う」「原因」「結果」といったことばがスピノザの手によって自在に操られ単純な公理から複雑な証明が次々登場しますが、そのことばの流れに乗って感じるのは一種の快感です。内容はともかく、と言ったら失礼な態度でしょうが。やがて命題に「神」が登場します。スピノザは慎重な手つきで「神」を扱います。あり得る反論に答えつつ「論証以上」が積み重ねられていくうちに、世間で言われている「神の観念」が次々に否定されていきます。
 私にとっては、第2章は第1章よりスリリングでした。「これらからわれわれは、人間の精神と体が一つに結ばれていることを解るだけではなく、精神と体の結びつきということで何を解るべきかということもまた解る。しかしながら、まえもってわれわれの体の自然の性を十全に認識することがなければ、だれもその結びつきを十全に、言いかえれば判明に解ることはできないであろう」といったあたりでちょっと興奮してしまいました。シャンジューとリクールが「デカルトが提示したまま放置した疑問にスピノザが解答を与えようとした」と述べたわけがわかります。

 宗教改革の後でキリスト教と世俗政権との関係・キリスト教内部での権力闘争などが複雑に絡み合い、さらにスピノザ自身がユダヤ人(しかも教会から破門されているユダヤ人)であることもそこに関係します。また、イタリア・ルネサンスによって「知性の光」がヨーロッパを照らし始めていたことも本書には関係しているでしょう。ただし、その時代に置いた時にのみ意味を持つ“特殊解”ではなくて、時代を超えた“一般解”が本書には満ちています。
 スピノザは無神論者として扱われたそうですが、私にはそうは思えません。彼が示すのはたとえば「神のことば」と「人間が神について語ることば」との峻別です(二宮尊徳が「「神の道」と「神に仕えるものの道」とは全然違うものだ」と述べたことを私は連想します)。スピノザはたしかに従来の「神」を否定しているかのようですが、実はそれは従来の「人が神について期待して語ったことば」を否定しただけのように思えます。そうだなあ、おかだ流に言うなら「神はビッグバンを(量子論的揺らぎを含めて)準備した。ただしそれは我々人間のためではなかった」となるでしょう。