【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

演技/『ブロックルハースト・グローブの謎の屋敷』

2009-01-01 17:12:44 | Weblog
 大根役者の名にも値しないような学芸会レベルの“ドラマ”が大量生産されていますが、あれは結局「演技」ではなくて「ふり」とか「ごっこ」を見せられているから不愉快なのか、と気がつきました。「演じる」とは(「自分」をきっちり保っている)単なる「ふり」や「ごっこ」ではなくて「演じる役の中に自分自身をほとんどまるごと放り込んでから表現する作業」です。ですから、「ふり」「ごっこ」と「演技」の間には見る側によってある程度きちんと線が引けるのでしょう(もちろん上手下手があります。下手な演技は上手なふりには負けるかもしれません)。
 実生活でも、商売で「自分の役」を上手に演じている人と、その「ふり」をしているだけの人とは、きちんと区別できません?

【ただいま読書中】
ブロックルハースト・グローブの謎の屋敷 ──メニム一家の物語』シルヴィア・ウォー 著、 こだまともこ 訳、 佐竹美保 絵、講談社、1995年、1553円(税別)

 イギリスのブロックルハースト・グローブ5番地の古い屋敷に住むメニム一家は、家族全員が等身大の布の人形でした。裁縫が得意なケイトという老婦人が作り出した人形一家にいつの間にか生命が吹き込まれていたのです。ケイトの死後40年間、一家は目立たないようにひっそりと暮らしていました。食べたり飲んだりは不必要ですが、「ごっこ遊び」でそのふりを皆がして楽しみます。それほどたくさん要りませんが、家賃や日々の暮らしのためにお金も稼ぎます。体をすっぽり覆う服を着、化粧などをして目がボタンであることに気づかれないようにして外出もします。ひっそりと一家はそれなりに平和で楽しい時を過ごしていました。
 人形たちが夢中になって行なう「ごっこ」遊び(食べたり飲んだり、病気になって寝ついたり、の「ふり」を皆でやること)を読んでいると、こちらまで童心に帰るような気がします。しかしおじいちゃんのマグナス卿は「わしらは生きるために人間のまねをし、まねをするために生きている。この決まりは複雑すぎるんじゃ」と言います。この人形たちにとっての「生活」とは一体何なんだろう、と考えて、その問いがまっすぐ自分に向かってくることに私は気づきます。どきりとします。
 そこに危機が。オーストラリアに住む大家が訪問してくるというのです。自分たちが人形だとわかったらどんなことになるでしょう。一家は震え上がります。幸いその人は旅の途中でオーストラリアに帰って行ってしまいましたが、事件は続きます。屋根裏部屋では未完成のまま放置されていた人形(女の子)が見つかります。長女のアップルビーの残酷なウソが発覚します。40年間毎年毎年「15歳の誕生日」を祝うのに疲れてしまったのでしょうか、アップルビーは家出をします。一家で一番理性的な長男のスービーは(人形は濡れることを嫌うのに)雨の中をアップルビーを探しに出ます。夜の町に若者は何人もいますが、アップルビーはなかなか見つかりません。

 ゆっくり数えると、登場人物(人形)は11人もいます。ところがそれぞれが著者によって愛情をこめて書き分けられており、読んでいるうちに一人一人と知り合いになったような気分がしてきます。「主人公とその取り巻きと敵」しか書き分けられず、そのキャラクターに愛情の感じられない仕打ち(ストーリー上不必要な残酷な行為)を平気でする作者もよく見ますが、本書はそういった作品群とは一線を画しています。といって、ただ甘ったるいだけの子供だましでもありません。描写される行為そのものは大したことありませんが、そこに込められた心理的なビターさの凄みの描写は、「こんなの子どもに読ませて良いのか?」と言いたくなるほどです。
 人が人形劇を好む理由は私には説明ができませんが、本書では、意識を持ち自分が人形劇を演じていることをわかっている人形たちが、(人形の脳(パンヤ)ですから小難しいことばは使えませんが)自分たちの存在意義や家族のあり方を真剣に問い続けています。人形ですから人間の生活をしようとしたらそれはすべて「ごっこ」や「ふり」になってしまいます。しかし「ごっこ」や「ふり」かと思っていたらそれが突然「現実」に転化してしまうこともあるのです。人形たちはその転化に怯えとまどい、そして成長していきます。本書は単純な「生きて動くお人形さんが出てくるファンタジー」ではなくて、家族と人生と成長についての物語です。

 泥水まみれとなってアップルビーは発見されます。全身をお風呂につけて洗われるという、人形にとっては恐怖の体験の後、アップルビーは家族の中で他人の「ふり」をするようになります。家族はみなそれに傷つき、アップルビーも傷つきます。しかしそこから一家は新しい道へ踏み出します。新しい「ふり」と新しい「ほんと」が交錯した道へ。

 本書はガーディアン児童文学賞を受賞したそうですが、一読、納得です。