【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

行列/『忘れられた名文たち』

2009-01-04 17:19:50 | Weblog
 初詣で、行列ができる神社があれば閑散とした神社もあります。
 ジャンボ宝くじで、長蛇の列ができる売り場もあれば閑散とした売り場もあります。
 この人気の差は何に由来するものなんでしょう。で、その“霊験の差”は?

【ただいま読書中】
忘れられた名文たち』鴨下信一 著、 文藝春秋、1994年、1553円(税別)

 古今東西の「名作」から美文を書き抜いた本かと思ったら、違いました。
 「わたしたち一般人は、名文家ではない。しかし、どんな文章が名文であるかは、よく知っている」と本書は始まります。ではそれはどこで学んだのかと言えば、常日ごろ目に触れる(そして読み捨てられていく)「雑文」によって私たちは文章力を身につけている、と著者は主張します。つまり本書は日常的な(そして読み捨てられてすぐに忘れられていく)「名文」についての本です。
 例として取り上げられるのは、囲碁・将棋の観戦記、スポーツの観戦記、レコード評……特に映像表現に優れた文章として著者は歌舞伎の劇評を取り上げます。これは基本的に劇を観てその善し悪しを評するものですが、その文体が現代ではグルメやファッション評に受け継がれている、と言うのです。「あの芝居見たかい、面白いよ」がそのまま「あそこのレストラン行ったかい、美味しいよ」に変わったように。
 映像的といえば、画家の文章も載せられていますが、これがまた写生的でたしかに“名文”です。
 新聞も登場します。昭和30~40年代の天声人語(朝日新聞)も今のとは別物で上等なできですが、私が感心したのは同時代の細川忠雄の「よみうり寸評」。本書に紹介されているのはとんでもない逸品です。こんなのを毎日読めたら、幸福だろうなあ。

 司馬遼太郎と桑原健夫の対談「人工日本語について」では、戦後になってはじめて一般大衆のための標準的な文章日本語ができた。それは平易で誰が書いても同じようで、恋愛のこともベトナム戦争のことも同一の文体で書ける、と言っているそうです。著者はそれを「標準文体」と呼びます。昭和30年代に登場した中間小説の雑誌では、皆がこの文体を使っていました。だから、時代小説も現代小説もミステリーも風俗小説も全部同じ文体です。ところが昭和40年代になると、標準文体で出発した作家は競って個性的な文体で書き始めました。ただ、こういった文芸的なスタイルは時代の影響も受けすぐに古びてしまいます。実用的な文章は時代を超えて生き残りやすい傾向があります。
 生活に密着した名文として例示されている北大路魯山人の「鮪の茶漬け」。読んでいるだけで本当に美味そうに思えます。手順が的確に明示されているのは、著者が他の場所で褒めているマックの解説本も同様です。著者はそこに「口誦」を見ます。標準的な文章口語は守備範囲が狭く固いものですが、そこに口誦口語を埋め込むことで文章は豊かさと柔軟性を獲得します。基礎と応用といったところでしょうか。もしかしたら私自身、このテクニックを使っているのではないかと気づきました。
 正書法の章では「変わった正書法」が紹介されています。ちょっと引用してみましょう。
「こォ考えて来て、どこかで大いに叫びたいと思ッてゐたチ゛ャアナリズムの訴えを、ここで一言しよォと思う。チ゛ャアナリズムが國語に寄輿するところわ、今更言うまでもないが、又、それほど有力であり、期待せられるものであるだけに、へたなことをしてもらってわ困ると、私わ切に訴える。」(『標準語』石黒魯平(駒澤大教授、国学者)、昭和25年)。なんか、あちこちで最近よく見る文体に似ているような。で、これに対応するものとして『当世書生気質』(坪内逍遥、明治18年)の「サアそれサ。あれハ全く親父から呼びに来て。駒込の家に宿ツたのだ。ダケレド。他人ハ然るとハ思はず。矢張遊ぶンだと思はれる、シカシ是も前に馬鹿をしたからの事サ。」……ケータイ小説?
 ……正書って、なんでしょう? それと、人類は進歩しているのかな?

 本書にはいろいろ興味深いことが書かれていますが、たとえば「文章は事実を要約する機能を持つ」という面白い指摘があります(「コーヒーを一杯飲んだ」という文章を読むのに要する時間は、実際にコーヒーを飲むのにかかる時間より短い)。ところがそれで書かれたポルノ小説はちっとも面白くありません。だからポルノでは文章は(行為の細かい描写によって)“引き延ばされ”ます。著者はそれをポルノ小説の“特権”と言います。そしてその文体を借用した文章は、ポルノでなくても妙に色っぽくなります。
 あるいは「歌人と俳人では文章のスタイルがずいぶん違う」。俳人は対象をクローズアップすることに優れているが、旅に関しては歌人の文章の方が“実用的”だそうです。
 日本の実用的口語文が成立するには、文芸畑だけではなくてジャーナリストやアマチュアの力も大きかった、も重要な指摘でしょう。本書には、アントニオ猪木とか淀川長治までその例として登場していますが、たしかにわかりやすいくて良い文章です。
 「これが名文だ」と人に教えてもらうのではなくて、自分で「これは名文だ」と発見する楽しみがあることを教えてくれる本です。