【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

農林業は甘い商売?/『ゴンベッサよ、永遠に』

2009-01-27 18:44:16 | Weblog
 職を失った人の行き先として「農林業」が候補に挙げられているそうです。片方に「職がない人」、もう片方に「人が足りない職業」があるからちょうど良い、ということなのでしょうが、農林業ってそんなに簡単に始められる(素人が始めて明日からそれで食っていける)商売なんでしょうか? 私にはとてもそうは思えません。明治時代の北海道開拓で、開拓民がどんな苦労をしてどのくらいの犠牲が出たか、まで持ち出す必要はないでしょうが、たとえば農業だったら、まず必要な知識は、土壌(利水・施肥・草取りを含む)・育てる作物の性質・収穫のタイミング・換金方法。必要な読みは、向こう1年の気候・商品相場(何が収穫期に高くなっているか)など。農業技術者でかつ相場師でかつ経営者でないと上手くやっていけないはずです。さらに、すべてが上手くいっても金が入ってくるのは収穫後。それまでどうやって食いつなぎます? 「農奴になる」のなら、少なくとも食わしてはもらえますが、ではこんどは誰が食わせるんでしょう。

 そもそも農林業で人が減ったのは、「それで食えない」とか「住む環境が魅力的ではない」などの理由があったからのはずです。その根本原因を放置したまま人だけ放り込めば解決、とは私には思えません。風呂桶の栓を抜いたままそこに桶で水を入れるようなもの(しかもその桶も底が抜けている)と思えます。

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ゴンベッサよ、永遠に ──幻の化石魚シーラカンス物語』末広陽子 著、 末広恭雄 監修、小学館、1988年、1194円(税別)

 1938年、南アフリカ共和国の東海岸イーストロンドンにトロール漁船が奇妙な魚を水揚げしました。イーストロンドンの博物館館長ラティマーは、保存手段がないため剥製にすると同時に、イギリスのスミス教授に連絡します。スミス教授は、3億年前に現れ7000万年前に絶滅したと考えられているシーラカンスであると確信します。1952年に二匹目のシーラカンスがコモロ諸島(マダガスカル島の近傍で当時仏領)で捕獲されます。
 日本にシーラカンスの標本がやってきたのは1967年、フランスと良好な関係を持っていた正力松太郎氏にフランス政府から寄贈されました。(アポロの月面到着はその2年後です) ちなみにこの標本は、解剖後よみうりランド海水水族館に展示されているそうです。1972年、日本にシーラカンス学術調査隊が誕生します。メンバーは著者の父(本書の監修者)と映画の篠之井公平の二人だけ。(ちなみにワシントン条約が発効したのもそのころです) スポンサーは見つからず日本と国交がないコモロでは政変が起きライバル(他のシーラカンス調査隊)が名乗りを上げ……調査隊が出発できたのはやっと1981年のことでした。慣れない環境での1ヶ月が過ぎ、明日は帰国するという最終日になって大物が釣り糸にかかります。漁師の親子は8時間の格闘の末、体長1m77cm体重85kgのゴンベッサ(シーラカンスの現地名)を引き上げます。
 日本に持ち帰った冷凍標本をX線CTで検査したところ、背骨は軟骨で椎体や肋骨はなく、それらの機能は分厚く三重になったウロコが担当していることや、まるで手足になりかけているかのように見えるひれが両生類の手足に骨格が類似していることもわかりました。解剖では、脳神経組織が魚より両生類に似ていることも。
 後日談として不愉快な話も紹介されていますが(“世間で目立つ人間”が嫌いなんだろう、としか解釈できない訳のわからない行動や“ただ乗り”をしようとする人間はいつの時代にもいるものです)、愉快な話もあります。特にシーラカンスの試食会で結論は「不味い魚の代表」だったとは。さらに1986年第3次調査隊のときに、ついに生きているシーラカンスが泳ぐシーンがビデオに収録されます。
 ただ残念なのは、せっかく得た知見を「人類全体で共有する」ことができていないことです。本書で紹介されているドイツの調査隊の態度とはずいぶん違って、日本隊の態度は、好意的に言うなら引っ込み思案、悪く言うなら内向きで、全世界に向けての発信をしようとはしません。もったいないなあ。