JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

ふるさと北海道開拓の一つの姿 「石狩川」

2013年01月20日 | Weblog


 北海道開発に新天地を求めた、仙台藩の支藩城主伊達邦夷と一党が、原野を切り開く小節です。
 開拓地当別は、今ですと札幌からすぐ近くですが。この頃は現地に行くのにも命がけでした。
 熊笹を鎌で切り開く困難さはよく分かります。
 終わりの方で、開拓の見通しを付けた先発隊が仙台に帰り、開拓より政府に生活保障を求めるべきと主張する留守部隊と対立します。突然価値観の変更を余儀なくされた武士の二つの姿を描いています。
 そして、わずかな保障で、家族もろとも開拓地へ向かうのです。
 私の生まれ育った北海道の開拓の一面をリアルに描いています。
 明治政府の財源の一つが、こうした、過酷な藩取りつぶしで得たものであること。勝者である、長州の役人が東京や北海道の支配者として君臨する姿も画いています。
 野呂栄太郎の日本資本主義発達史では、徳川幕府の根本矛盾として、生産しない武力装置である武士階級の存在が、経済的矛盾を引き起こしたと指摘していたと思います。
 作者の本庄睦男が書いたのは1935年ですが、今書いたと言われてもそうかと主ほど全く古さを感じません。
 しかし、このエピソードは北海道開拓の一面で、様々な階層、動機、情勢などの中で開拓は進められました。 
本庄睦男は、これを第一部として、されに書き進める予定でしたが。病死します。
 この小節を書いた時代は、治安維持法で日本共産党が過酷な弾圧にあっているときです、日本共産党員の本庄睦男にも特高警察がつきまといました。
 職人たちと共同しながら、開拓を進める武士の苦悩として、職人たちから集団暴行を受ける主人公の一人が、刀を抜かず、殴られれます。
 その上役が、そのことでお前は勝ったのだと言います。
 暗い時代の中で、歴史を前進させようとする日本共産党の姿とダブルような気がします。